オリガルヒ

1990年代のロシアについて。主にオリガルヒ。時々チェチェン。まれにイラク、パレスチナ、その他紛争地。 自分はこれからどんな惨めな人生を生きていくことになるのだろう。考えている。

Thursday, November 11, 2004

ファルージャとグロズヌイに関する2冊の本

昨日は学校の帰りに池袋のジュンク堂に寄り、"ファルージャ2004年4月"を買った。
その後、一度家に帰ってから図書館へ行き、"チェチェン屈せざる人々"を借りてきた。

この"ファルージャ2004年4月"は前々から気になっていた本なのだけど、収録されてる文章の多くがインターネット上で読めるので、買うのはどうしようかと迷っていた。
だけど、この数日、米軍がファルージャを攻撃しているということで、この本を買うことにした。
4月にファルージャで本当に多くの無実の人が殺された。その事実をまとめた本には価値があるはずだから。


"チェチェン屈せざる人々"の方は半分写真集のようなもので、本の前半に47枚の写真が掲載されており、それが本のメインとなっている。ただし、後半には林氏による文章があり、その文章も、なんと言ったらいいか、形容が難しいのだけど、人を動かすような性質のもの。写真は全て白黒。
掲載された写真は、ほとんどが人を写したもの。チェチェンにおいて人々がどのような環境にあるかを提示してくれるようなもの。写された時期は戦争の最中や悲劇の直後ではなく、戦いが終わっていくばくかの時間が過ぎてからのものだった。
これはフォト・ジャーナリズムという類のもので、写真を通して何らかのメッセージを伝えようとする試みの実践なんだ。この本は岩波のフォト・ドキュメンタリー「なぜ世界の戦場から」の一冊で、巻末にはなぜこのシリーズを創刊したかという点に関し広河氏の文章があった。

私はまだフォト・ジャーナリズムという分野に関して、慣れていないんだ。
私にとって写真は何かメッセージがあるものではなく、証拠だった。どんな攻撃が行われ、どんな人が死に、怪我人たちがどんなふうに運ばれたか…。そういった現在進行中の出来事を捉えたものを、それに関する文章と共に読むことに慣れてきた。それが私にとっての写真だった。
ところがこの本が目指しているのはそういう証拠としての写真ではなく、戦争がどのように人々に影響を与えたか、普通の人々がどのような日常を送っているのかということついて、写真のみで語ろうとしている。
つまり文章で語ろうとしているのではなくて、写真で語る。写真にメッセージが込められているの。そういうふうに写真に込められたメッセージを読みとるには、受け止める側が読み取るという能力を持っていなくちゃいけないんだ。
それが私はまだできなくて、そのことは実感として感じた。

これは単にまだ慣れてないということなんだと思う。だから、メインの写真ではなく後半の文章のほうに引き込まれてしまった。
でもそれは仕方ないのこと、だよね。まだ今のところは。

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ところで私は大学のほうでは、ジャーナリズムに関してごにょごにょとしたことをしている。一昨日は授業の参加者の間で一つのサイトを作ろうということになり、そのサイトが誰に向けて書かれるべきなのかということについてちょこっとだけ話が出た。それが面白かった。
「大学の他の学生に向けて」という話もあって、それが至極当然だとも感じたのだけど、私が言ってしまったのは「リベラルな人!」と。

そこで気付いたのは、私が書く文章というのは、いつだってリベラルな人が対象になっていたような気がする。リベラルな人に対して話をしたい。
だけど、このリベラルっていうのは、もはや意味をなさないような単語だね。ネオ・リベラルみたいな立場が出てきて、保守主義とも絡み合って、もう何がなんだか良く分からない。

そこで具体例を使って説明をすると分かりやすいような気がした。
例えば、湘南台の駅前を思い浮かべて欲しいのだけど、駅前のパチンコ屋の前にテロリストがいた。立ってハンバーガーを食べていた。そこに自衛隊がミサイルを打ち込み、彼は死んだ。テロリストがいなくなった。これはいいことなのか? これをどう評価するか?
ここで無視できないのは、「ミサイルが爆発したとき、危害が加えられたのはそのテロリストだけではないのではないか?」ということ。
きっと、偶然周りにいた5人も死んだ。別の14人が怪我をした。1人が足を失い、2人は大火傷をした。血まみれになった母親が息の絶えた娘にしがみついて叫んでいる。

こういうふうな付帯的な損害を、「悲しいが、仕方ないのことだ」と思うなら、それは私にとってリベラルじゃなくて、「それは悲しいことであり、許されがたいことだ」と思うならそれは私にとってのリベラルなんだ。

これって極端な例じゃないよ。ファルージャではザルカウィという存在一人を倒すという名目の元で、大勢の命が奪われた。無実の人が死ぬというのは、そんなにどうでもよいこと?

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