オリガルヒ

1990年代のロシアについて。主にオリガルヒ。時々チェチェン。まれにイラク、パレスチナ、その他紛争地。 自分はこれからどんな惨めな人生を生きていくことになるのだろう。考えている。

Thursday, November 18, 2004

アレクペロフに心惹かれて

今日は出かけたついでに、"The Oligarchs"を470ページまで読んだ。なんだか読み終わるのが嫌だから、いつ読み終わっちゃうかのかとビクビクしながら、カウント・ダウンをしたりしている。そんな状況だね、今は。
長い本を読み終わりそうな時って、いつもこういうどこか寂しい思いがしてたまらない。

別に読み終わっても、何度でも読み返せる。それは事実なんだけれども、この最初に読む幸せ、具体的には、知らないことを知りながら読める幸せみたいなものは、戻ってこないんだ。
他の本を読めばいいじゃないかという指摘もあるかもしれないけど、私にとってそれは別物で、この本じゃなきゃダメなの。
ある本が持っている声とか、雰囲気っていうのは他の本では置き換えられない。"The Oligarchs"に関していえば、デイビッド・ホフマンの語りを楽しみながら、"The Oligarchs"を新しい物語の情報源として読むことは、もう永遠に出来ないんだ。それがとっても悲しい。

470ページまでに書かれてたのは、ルシコフがいかに大統領候補として潰されたかということ。ベレゾフスキーのテレビ局、ORTでドレンコが徹底的なネガティブ・キャンペーンを行った。
私がそれなりに好きな人が、ベレゾフスキーのネガティブ・キャンペーンで潰されるのを読むのはこれで2回目だ。チュバイスに続き、ルシコフ。
ルシコフはモスクワの市長として、なかなかに評価できる。大統領の器じゃないんだけど、プーチンよりはましだったと思うなー。

ベレゾフスキーは、ネガティブ・キャンペーンが本当に得意だね。アメリカの大統領選はネガティブ・キャンペーンが核となる役割を果たしているそうで、先日の大統領選でもそういう宣伝があった。でも、あんなのたいしたもんじゃない。
ここロシアでは、司法制度が成熟しておらず、オリガルヒたちが好き勝手できる無法地帯が形成されていたわけで、真実とは程遠いことも、相手を潰すために積極的に使われた。
不幸だったのは、ルシコフがそれに対抗することを選ばなかったこと。彼は、モスクワという自分の庭でのんびり過ごしていたので、世間の荒波に揉まれていなかった。残念、ルシコフ… というところで470ページ。

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皮肉なのは、ベレゾフスキーとその他がプーチンを推して大統領にしたわけだけど、その後の出来事を観察すれば、ベレゾフスキーがルシコフに大統領の座を渡さないために選んだ相手は、とんでもない怪物だったってことだよね。

プーチンは怪物だと思う。いくつかの点で、ロシアの経済を良い方向に導いたのも事実だけど、チェチェンへの対応は酷いもんだし、政敵を潰す方法は、オリガルヒも真っ青だ。ネガティブ・キャンペーンをするだけだったオリガルヒに対し、プーチンは司法を使って、ホドルコフスキーを逮捕しちゃったりするんだから。
もちろん、ホドルコフスキーも怪物なのは事実で、罪深いことはいっぱいしてるから、彼が逮捕されるのは当然なのだけど、プーチンのあのやり方は受け入れがたい。自分のライバルを排除することが目的で、逮捕したんだからね。

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ところで、そんなプーチンともしっかり絆を築いたルクオイルのアレクペロフ、まだ本気で調べてるわけじゃないんだけど、知れば知るほど面白い。

予定調和というかいつも通りAmazonに行き、"Godfather of the Kremlin"の本内部の検索をして、アレクペロフに関する文章を読んだ。
とはいっても、連続した5ページ分だけ。それしか出てこなかったのだ。"The Oligarchs"でも彼の扱いは少なくて、全部でたったの3ページにしか出てこない。

アレクペロフはメディアへの露出が極度に少ない。それはもう信じがたいほどだ。彼のルクオイルはロシアで一番の生産量を誇り、彼は石油という分野で国営企業を切り分け小さな会社を作るという試みを初めて行なった人なのに、注目されない。ベレゾフスキーだって、ホドルコフスキーだって、アレクペロフの後を追ってったんだよ。
だから、私もこんなに重要な人だということに気付けなかったんだと思う。勉強不足っていうのもあるけど。

とりあえず基礎的なデータを。
既婚。息子一人。資産は4000億円ほど。
1950年9月1日、今はアゼルバイジャンだけど、当時はソビエト連邦のバクー生まれ。
フルネームは、バギート・ユースフォビッチ・アレクペロフ。ってことは、彼の父親はユースフという名前だってことだね。RussiaToday.infoの情報によれば、ユースフは公務員だったそうな。
名前の英語表記は、Vagit Yusufovich Alekperov。ロシア語では、Вагит Юсуфович Алекперов。
英語表記はYusuphovichというのもあるみたい。フォーブスではそうなっていた。苗字はpの後のeに強勢が置かれるみたいだね。

油田と石油精製所をまとめて、一つの会社にするという方向は、彼がロシアで一番最初にやったこと。それがルクオイルで、ロシア最大の石油会社になった。生産量は2002年までずっと圧倒的なトップだった。その後、2003年にこれまた驚異的な発展を遂げたユコスに抜かれたんだけどね。

彼は天性のオイルマンといったらいいのかな。他のオリガルヒが、異なる環境からやってきて、石油の分野に入っていたのに対し、アレクペロフはもともと石油関係の大学を出て、ソビエト時代から石油業に関わっていた。
コガリムという街の責任者になり、数年でその油田を飛躍的に成長させた。

面白いのは、ソビエト崩壊やオリガルヒなどの出来事が起こるずっと前、1990年の時点で彼は石油会社をどうやったら作ろうかと考えていたということ。"Godfather of the Kremlin"の191ページにそう書いてあった。

そして更に興味深いのは、彼は他の多くのオリガルヒとは違って、妥協するんだよね。
例えば、ベレゾフスキーやグシンスキーは絶対に妥協しない。何かを欲しいと決めたたら、執拗にそれを追い求め、何が何でも手に入れようとする。
けれど、アレクペロフは、例えば1995年にはオムスクの製油所をベレゾフスキー&アブラモビッチ組に譲ったりしてる。この製油所はアレクペロフのものだったわけではなく、ルクオイルが10%のシェアを持っていただけなんだけど、"Godfather of the Kremlin"の記述を読むと、特に問題なくシブネフチのものになったようだ。

妥協ができるからこそ、交渉もできる。「カザフスタンのタンギスのプロジェクトに参加させてくれたら、ロシアのパイプラインを使えるように口を利くよ」みたいに言って、シェブロンと協力関係を築いた。
同様に、ティマン・ペチョラの油田ではエクソンと協力関係を築いた。

他のオリガルヒたちがいかにロシア内の国営企業の資産を私有化しようかと頭を捻っていた一方で、アレクペロフが率いるルクオイルは、とても活発に外国にその発展の道を求めた。

そういう意味で、アレクペロフは一般的なオリガルヒとはやっていることが少し違う。1990年代のクレムリンの権力争いにも関わってないし。
ただし、RussiaTodayの情報によると、アレクペロフは1996年の大統領選では、西シベリア南西部のチュメニ区で、エリツィンの使者として動いていたというから、政権とも近い関係にあったのは間違いないけどね。
彼はどうやらエリツィン・グループじゃなくて、チェルノミルディンと近い立場にあったみたい。

一方で、これは典型的なオリガルヒの行動なんだけど、メディアの分野にも進出している。イズベスチャの株はかなり持っていた。サンクト・ペテルブルグ・タイムズの記事によると、1997年の段階で、ルクオイルとその子会社を通して40%のシェアを保持していたとのこと。それらが最近もそのままなのかどうかは不明。

イズベスチャに関して私が心惹かれたのは、プラウダの記事
1994年にアレクペロフの外国人のパートナーが、イズベスチャ紙上で、アレクペロフを批判するPRを載せようとしたところ、アレクペロフが直々にイズベスチャにおもむいて編集長のイゴール・ゴレムビオフスキーにそのPRを載せないようにしたというもの。このくらいは別に普通なんだけど、すごいのはそれに続く文章で、プラウダの記事には「ちなみに、その外国人のパートナーたちはその後、誘拐されるか殺される運命を辿った」とのこと。

アレクペロフ、気に入ったわ。彼はオリガルヒだ。
私の中では、「オリガルヒは殺人を犯すもの」という若干意味不明な条件があって、アレクペロフは文句なしにこれに当てはまるね。
ついでにこの件で彼は「死体が残される以外には、おかしな証拠は何も出てこない!」みたいな条件もクリアできそう。これも重要な条件の一つ。簡単に尻尾をつかませるようじゃぁ、オリガルヒとは言えない。

これからは本気を入れてアレクペロフ情報を追いかけよっと。彼はその価値がある。
だけど、先のプラウダが書いているように、「ルクオイルはロシアで最も閉ざされた会社で、アレクペロフはロシアで最も謎が多いオリガルヒ」なんだよねー。彼の事を知るのは難しそうだ。

最後に、もうちょっと。タイムズによると、彼には、The General, Alek the first, The Donというあだ名がついているそう。なんとなく感じがつかめるかな。将軍でドンなわけか。アレク・ザ・ファーストは、19世紀初期のロシアの皇帝のアレクサンドル一世にかけたものだろうね。ナポレオンを撃退した彼。ウィキペディアにいい文章があったので引用すると、「神聖同盟を結成してヨーロッパ諸国のあらゆる自由主義運動や社会運動の弾圧に協力した」。あー、なんか鮮やかなイメージを描けそう。
ちなみに、ポール・クレブニコフは、「彼はいつも通訳として絶世の美女を侍らせていた」という目撃情報を、"Godfather of the Kremlin"の194ページに記してる。
将軍で、ドンで、自由主義運動を弾圧し、美女を回りに置く…。奇妙奇天烈だわ。

あともう一点。
彼はプーチンよりも背が高い。というのも、二人のツーショットの写真がインターネット上にいっぱいあって、アレクペロフのほうが背が高いことが明らかだから。

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