オリガルヒ

1990年代のロシアについて。主にオリガルヒ。時々チェチェン。まれにイラク、パレスチナ、その他紛争地。 自分はこれからどんな惨めな人生を生きていくことになるのだろう。考えている。

Monday, November 22, 2004

グシンスキーの終焉

昨日は池袋に行った往復に"The Oligarchs"を482ページまで読んだ。

なぜ池袋に行かなくてはいけなかったか…。これは三蔵法師もびっくりの大冒険だ。少なくとも感情的には。
金曜の朝からデスクトップでインターネットにつなげなくなっていた。いや、「つなげなくなっていた」なんて書くと、まるで何の混乱もなかったような感じだけど、実際には世も末だった。何がおかしいのかも分からず、結局一日中再起動したり、いろいろ設定を変えたりした。途中で自暴自棄になって、ウィンドウズの再インストールまでしたり。まぁ、でも、再インストールは前からしようと思っていた。前回のインストールが2月だったから、遥か昔だ。

結局、土曜日になって、ルータの有線のコネクタがおかしくなってたことが判明。無線でつないでるノート・パソコンからはインターネットにつなげた。そうやって、前回の投稿をしたわけ。
でも、デスクトップからインターネットにつなげないというのは死活問題だ。全ての大事で必要なデータはこちらにあって、ノート・パソコンのほうは空っぽも同然。

そんなわけで、土曜日中、頭は混乱していた。
1. ルータの有線部が壊れている。2. けれども、ノート・パソコンから無線接続は大丈夫。3. デスクトップからはもう二度とインターネットができない。4. けれども、ノート・パソコンから無線接続は大丈夫。5. デスクトップからはもう二度とインターネットができない。6. けれども…

頭がループ状態だった。ノート・パソコンから半分壊れたルータを騙し騙し使うこともできる。それに買いものをするのはもともと大の苦手だ。できれば、新しいのを買うのはやめたい。

私には決断力がない。それはこれまでのこのブログでも、これ以上ないってぐらい明らかになってたよね。次の次にどの本を読もうか、永遠に悩んでいる私。しかも、いまだに決められていない。そんな私が、いきなり降りかかった事態に対応できるわけない。買った後も、それで良かったかどうか数ヶ月は悩むのが目に見えてる。

でも、やっぱりノートパソコンで長時間作業するなんてまっぴらだ。
ということで、池袋のビックカメラでルータを買ってきた。今のデスクトップについてるキーボードは、5年ぐらい前のものなんだけど、エルゴノミクス・デザインで本当に使いやすい。インターネットするならこのキーボードだ! ノート・パソコンのキーボードなんて、そう、冗談じゃないぞ!!

そうは言ってもルータの選択にも困ったもんだった。何せ次に読む本さえ決められない私、そう簡単にルータの種類を選べるわけがない。でも今回は、本当に急いでたってこともあって、値段重視で一番安いのをスパッと選んだ。それでも40分ぐらい店内をうろうろしたんだけどね。
もしこんなに切羽詰ってなかったら、お店に行って散々迷った挙句、買わないで帰ってきてたかもしれない。実際、そういうこと何度もしてるんだから。

ただ、この数年で私の生活はインターネットがないとどうしようもなくなった。インターネットが生活必需品の一つになったのだ。てなわけで、意を結して6980円のをゲット。前のになかったステルス機能もついてる。これでデスクトップがインターネットに復帰。良かった良かった。

てなわけで、ユコスについては、まだ調べてないの。調べようと思ったんだけど、パソコンが大変なことになってて、そんなことする気分になれなかった。結局、これが言いたかった。サボったんじゃないよって。

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"The Oligarchs"だけど、昨日読んだところに書いてあったのは、グシンスキーに迫りつつある影について。
「プーチン再選後、グシンスキーに闇の影が迫る…」という感じだったけど、8ページの間には特に大きい動きはなかった。

でも、とても情緒的な気分になる内容ではあった。
今ホドルコフスキーに起きている出来事なんて驚きでもなんでもないんだね。実はグシンスキーにもほとんど同じことが起きてる。彼も脱税の疑惑やらなんだらをかけられ、オフィスに捜査の手が行き、そして逮捕もされた。知らなかったよ。
ホドルコフスキーの件は古典的だったんだ。これがプーチンのやり方だ。この本、早くに読んでれば良かった。ホドルコフスキー事件は、グシンスキー事件の再現なんだよ。驚いたね。

昨日読んだところに書いてあったのは、プーチンがソビエト崩壊前後ぐらいからドイツでスパイ活動に従事していたために、その間に起きたロシア初期の大変化を経験しそびれてしまったということ。確かにそうかもしれない。
そして、プーチンについて、デイビッド・ホフマンが474ページに書いているのは、「彼はエスカレーター式にトップに上り詰めた。一方で彼のライバル、ルシコフとプリマコフは、彼の裏部隊(=ベレゾフスキー)によってつぶされた。彼は、選挙での敗退を乗り越えるということを経験したことがない。実際のところ、彼は政治の舞台における駆け引きには関わったことがないのだ。マスコミとの持ちつ持たれつも、討論も知らない」ということ。

そして、デイビッド・ホフマンはこう結論付けてる。「プーチンはロシアの大統領だけども、考え方はとてもソビエト的だ。とても強権な政府を理想としている。そして彼は全てをコントロールすることを欲しているのだ」と。
この本が書かれたのが2002年。そして、その後何一つ変わっちゃいない。

それにしても本の最後でデイビッド・ホフマンはかなりプーチンの批判をしてる。これは意外だった。私はてっきりデイビッド・ホフマンは、プーチン礼賛の美辞麗句でお茶を濁してくれるのかななんて思ってた。
このあたり、ワシントン・ポストの記者だからできることなのかもしれない、と思う…。例えば、バディム・ボルコフは"Violent Entrepreneurs"の最後でむやみにプーチンを崇めてたのだけど、それは彼がロシア人で、ロシアの大学の教授だということを考えれば致し方ないことかもしれない。現代のロシアに置いて、プーチン批判はタブーだもんね。

一方で、デイビッド・ホフマンにとって、この"The Oligarchs"はロシアへのせん別みたいなもので、彼はこの本を出したころにはワシントンに戻り、ポストの本社で働いていた。ロシアにいないだから、プーチンのことを悪く書いても構わないわけだ。
あともう一つ注目するべきなのは、デイビッド・ホフマンの立場。これは前にも書いたことだけど、彼はオリガルヒたちとものすごく深い関係がある。それぞれの人間と顔見知りだった。とすると、彼はオリガルヒ側から物事を見てるんだと思う。そのあたり気をつけなきゃね。

なんて書きつつ思うのは、私もそうだってこと。私もオリガルヒをどこか離れたところから見てるような振りしてるけど、本当は全然違っていて、実際にはオリガルヒ大好きだもん。じゃなかったら、こんなに夢中に彼らのこと追いかけたりしないよね。
時々自分はオリガルヒのストーカーをしてるんじゃないかと思うことがある。例えば二つ前の投稿で、アレクペロフに関して、「既婚。息子一人。父親はユースフ。公務員」などと書いたとき。これじゃあ、単なるおっかけと同じだね。でも、おっかけでいいんだもん。ストーカーでいいもん。楽しいもん。

というわけで、私もデイビッド・ホフマンと同じように、無意識的にオリガルヒに対して同情的な立場を取ってしまう可能性が高い。それは踏まえておかなきゃ。

でもね、やっぱり、何はともあれ、グシンスキーの逮捕は認められないよ。ホドルコフスキーの逮捕は、彼が悪徳商売人であることを考えれば許せるんだけど、グシンスキーは国営企業を二束三文でかっぱらうということはしてないし、彼のNTVは一応にも自由な報道というのを確立しようとしてた。
彼のどんな権力にもなびかない姿勢というのは高く評価できると思う。だって、それこそがジャーナリズムでしょ。それこそが、調査報道(Investigative Journalism)を支えるものじゃない。このせいで全てを失うことになったのは悲劇としかいいようがない。アレクペロフやアブラモビッチは、プーチンと協調路線をとって、うまく生き延びてるけど、世界はそんなもんじゃない。そんなもんであるべきじゃない。
グシンスキーは、オリガルヒだったけど、不屈の精神を持っていたし、それはジャーナリズムにとっては大事なことだった。第一次チェチェン戦争のとき、グシンスキーのNTVは、政府の発表を覆すような事実を思いっきり報道した。これはプーチンには受け入れられないだろうけど、そう、大事なことなんだよ。

そんなふうにむかつきながら読んだ。

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