オリガルヒ

1990年代のロシアについて。主にオリガルヒ。時々チェチェン。まれにイラク、パレスチナ、その他紛争地。 自分はこれからどんな惨めな人生を生きていくことになるのだろう。考えている。

Wednesday, December 15, 2004

読破"Putin's Russia"

"Putin's Russia"を読み終わった。

本当は昨日のうちに読みたかったのだけど、結局昨日は1ページも読まなかった。
前に書いた写真サイトの作り方の説明が全然出来上がってなくて、行きの電車の中で原稿を書き、学校に着いてから、別の授業中に借りたノートパソコンに入力してた。それでも終わらなくて、帰り道でもやったわけ。
なんだかよく分かんないけど、一つのグループとしてサイトを作るのに、全ての作業を私が一人でやるなんておかしくないかい? などと思う。この話に関しては、"Putin's Russia"の最終章に絡めてまた後で。

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今回はまだ本全体の書評には取り掛からない。
今日読んだ202ページから283ページまでについて。81ページも読んじゃった! 行きの電車で15ページ。
学校でちょこっと読んで、帰りの電車で259ページまで読んだ。残りは24ページだったので、家で1時間ちょっとかけて読んだ。

おとといから、5章目のMore Stories from the Provincesに入っていた。
ここでは、カムチャッカの軍港で潜水艦の任務に関わっている人がどれだけ貧しい生活を送っているかが書かれていた。
軍港はリバチェという街にあるのだけど、その街はポリトコフスカヤが取材に行ったときは、石油危機に陥っていて、軍人は仕事場まで歩いて出勤してたとか。船長のディキーという人は、毎朝40分かけて歩いていくんだとか。お給料も少なくて、時々親から食べ物を送ってもらって、それを仕事仲間で分けてるとか。
すっごく悲惨な状況なの。軍隊というのが全然お金がないなんてびっくり。いや、そもそもこのディキーという人が船長をしている船は、原子力潜水艦なんだよ。「こんな状態じゃ、原子力潜水艦を維持できない」と彼は言ったりしていた。
なんとも言えない状況だね。大国だと言われているけど、実際には軍隊にうまくお金を回せてないロシア軍。
末恐ろしい。

その後は、46ページに渡って、ノルド・オストの件が書かれていた。ポリトコフスカヤも交渉役として関わった事件。
ノルド・オストの事件に関してはインターネット上で、ポリトコフスカヤのレポートを何度か読んだことがある。彼女は、この件で自分がどういうことを見聞きしたか、本という形でまとまった分量は載せてないみたいだね。
前作の"A Small Corner of Hell"にもなかったし、この"Putin's Russia"にもないから。

ここでは、ノルド・オストの被害者がどんなふうに扱われたかが書かれていた。
例えば、ファデーフ一族の話など。彼らは4人でノルド・オストを観劇している間に事件が起きた。そして、その一人、ヤロスラフ・フェデーフが命を落とした。彼は頭を銃の弾が貫通して、それで死んだのだけど、その(頭に残った)銃口から分析すると、撃ったのはピストルではなく、もっと大きなものだったらしい。ノルド・オストの犯行を行ったチェチェンのグループはピストルしか持っていなかったから、ヤロスラフはチェチェンのグループに殺されたんじゃなくて、劇場に突入したFSBによって殺されたと考えられるわけ。
政府の発表では、銃で死んだのは4人だけで、いずれもチェチェン側が殺したとしていて、FSBがヤロスラフを殺したことを否定している…。だけならまだしも、ロシア政府は、彼の死体は重要な証拠になってしまうから隠そうとしたり、犠牲者を病院に隔離しようとしたり、といろいろなことをやっていた。
この事件で忘れちゃいけないのは、劇場占拠を行ったのは、チェチェン側だろうけど、実際に大勢の命を奪ったのは、FSBが流したガスなんだよね。武装派によって人々が殺されたんじゃなく、FSBによって殺された。それも猛毒のガスが使われて。
この事件に関しては、「チェチェンが行ったことで、大勢の犠牲者が出た」みたいな取り上げられ方が今や普通で、ともすると、「そんなんだったかな」と思ってしまうかもしれないけど、実際には、犠牲者の死についてはFSBの責任は大きいよね。
そういうことで、被害者たちが国を訴えようとしたのだけど、裁判システムが腐っているロシアでは、そういう訴えは却下されてしまう…、という話が続く。
あと、ノルド・オストのあと、モスクワで、何にも関係ない普通のチェチェン人に一体どれだけの冷たい眼差しが投げかけられたか、とか。
例えば、銀行に勤めていたアブバカール・バクリエフの話。事件は10月23日に起きたのだけど、その後で上司に呼ばれてこう言われた。『悪く思わないんで欲しいんだけど、君のせいで会社が面倒なことになりそうなんだ。自主的に辞表を書いてくれないかな。日付は遡って、10月16日で』と。
日付を遡らせるのは、ノルド・オストのせいで首にしたわけじゃないとするため。事件の全く関係のない人々が、チェチェン人というだけで集団的に責任を負わされている。ついでに、隣国ダゲスタンの人も…。
(もしや、ダゲスタンとチェチェンの区別がついてない?)

その後に最終章のAkaky Akakievich Putin IIが続く。アカキ・アカキエビッチというのは、ゴーゴリの小説に出てくる虐げられた英雄の話。プーチンと似てるんだとか。

面白いのはここでポリトコフスカヤは、『なぜ自分はプーチンがこんなにも嫌いなんだろう? 彼に関する本を書いてしまうほどに』と自問している。
そして、その理由をつらつらと挙げているわけ。最終的に、“プーチンは~だから、嫌い”という形で終わるんだけどね。

途中で私の心が惹かれたのは、276ページ。『プーチンは、これまでに何度も、ディスカッションの意味を理解できていないことを露呈してきた。彼にとっては、下の者から言葉が返ってきてはいけないのだ。』
「というのも、彼はKGBという組織にいたから」とポリトコフスカヤは分析する。プーチンが生まれながらに、こういう気性だったというのではなく、KGBという組織にいたおかげでこういう考え方をするようになったと。
ポリトコフスカヤに言わせると、『KGBというのは、上に立ったものが絶対で、上からの命令には必ず従わなくてはいけない』。でもこれは逆に、『自分が上になったら、下のものは自分に絶対に従わなくてはいけない』ということなんだ。
そういう組織の中で、下のものが、質問をしたり、言葉を返したりすることは許されなかった。プーチンはそういうメンタリティをはぐくんだままトップに上がったのだと、ポリトコフスカヤは書いている。

これを読んでどきりとしたのは、自分のこと。これは少し本の内容からずれるけど、私、質問するのが本当に下手なの。大学の授業の最後とかで、「質問はありますかー?」などと講師が言って、ときどきとても鋭い質問をする人がいるけど、私はといえば、質問のしの字も思い浮かばないぐらい。頭が機能を停止しているというか、なにをどう質問すればいいかも分からない。そして、そういう自分が、あんまり好きじゃないの。
アンナ・ポリトコフスカヤに憧れるし、鋭い質問を投げかけたいと思っているのだけど、実際にはな~んにも思い浮かばない。これには、結構な無力感を感じるね。調査報道に惹かれるのに、自分は調査報道をするだけの能力がないと気付かされるもんだから。一番興味を惹かれる物事に手が届かない。
そして、考えてみれば、それって仕方のないことなのかなと思う。だって、これまで私の人生の本当に多く部分が受験勉強に費やされてきた。受験勉強においては、自分で何かを考えるのではなく、与えられた情報をどんどん覚えていくだけだよね。『教師が話してくれることは絶対で、あんたはただそれを覚えればいいだけ』。こういう思考を10年ぐらい続けてきたおかげで、質問するということが出来なくなってしまった。
これじゃ、プーチンと同じだわ。非常にさびしく感じた。人間の行動特性というのは、変わらないものではないけど、一度固定されてしまうと変化させるのは難しい。私、ダメ人間の道を歩いてる…と思った。
この辺りは、私が一番苦手な分野。直視するのは苦難だよ。そんなわけで、冒頭の「私が一人で全部の仕事を抱え込んでる」という状況なんだけど、もっと周りに助けてもらえるような人間になれたら良かったなーと思う。でも、どうしようもないよね。

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そんなわけで、"Putin's Russia"は読み終わった。読み始めたのは、11月24日からだから、3週間かかってしまったね。意外と長い。これは不思議だわ…。
実際に本を開いた日は、11/24、12/6、7、8、13、15の6日間だけなのに。家でももっとちゃんと読まないとダメだね。

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