オリガルヒ

1990年代のロシアについて。主にオリガルヒ。時々チェチェン。まれにイラク、パレスチナ、その他紛争地。 自分はこれからどんな惨めな人生を生きていくことになるのだろう。考えている。

Friday, January 21, 2005

"Abramovich"読破

月曜日に"Abramovich"を読み終わった。ここでは、月曜日に読んだ分について少し触れてみたい。

258~275ページは、Making Yuksiという章で、シブネフチとユコスの合併の話が書かれていた。その最後の274ページにクレブニコフの発言が引用されていた。この発言は私も引用してみたい。2004年の7月のイズベスチャに掲載されたものだそうで、クレブニコフが7月4日、銃殺される7時間前にこんなことを言っていたそうだ。
『シブネフチとユコスを比べて欲しい。公式、非公式を問わず、ユコスに対してはあらゆる非難が、つまり脱税や愛国心のなさや政治的な野心だのに対する非難がなされているが、シブネフチはユコスよりもずっと酷い。にも関わらずシブネフチは栄えて続けていて、クレムリンの支持を得ている。ユコスがこなごなに解体される一方で。』

これはぜひとも注目しなくてはいけない事実。つまり、脱税や、その他のことを理由に、ユコスを潰すのであれば、シブネフチも潰さなくてはいけない。だけど、それはなされてないの。つまり、ユコスが潰されたのは、脱税などが理由ではないってこと。この発言はそれを非常に明らかにしているんだよね。
ここで、クレブニコフの名前が出たけど、クレブニコフについて興味深いのは、彼が撃ち殺されたとき、それに対する悔やみや、殺した勢力に対する非難は聞かれたけど、「彼には殺されるいわれはない」みたいな、“クレブニコフ=無実説”は強くなかったと思う。周りの人は皆分かってた。こんなことを書いてしまって、彼が標的に上がらない理由はない、と。
同じことはポリトコフスカヤについてもいえるね。あれだけのものを書いておいて、命が狙われない理由はない。あそこまでチェチェンの問題に光を当ててしまったらその反動が来ないはずがない、と。今のロシアっていうのはそういう国なのね。それは必ずしもプーチンだけの責任ではなく、エリツィンや、エリツィン時代の要人の責任も大きいと思うのだけど、とにかく今のロシアっていうのは、「死を!」みたいなことがまかりとっているような感じ。
ただこれに関しては、"Godfather of the Kremlin"の最初の方にもっといい説明があったので、後でそちらに触れる予定。

276ページからは、The Price of Wealthという章で、この辺りから、「ミッジリーとハッチンズはどうしてしまったのか?」ってぐらいに、変なことになっている。
少し前からタブロイド気味て来たのだけど、ここでは『お金は人を自由にするというが、アブラモビッチほどお金を持ってしまうと、お金の虜になってしまう』という書き出しで、いかにアブラモビッチが富のおかげで苦しんでいるかが書かれていた。

公園を歩くとか、オックスフォード・ストリートで買い物を楽しむといった単純なことができないんだと書かれていたのだけど、私に言わせれば、フィニング・ヒルという何エーカーもある公園みたいな家を持っているのに、どうして公共の公園をわざわざ歩かねばならないのかい??、と。
アブラモビッチが、ゆっくり歩きたかったら自分の広大な家の周りを歩けばいいだけで、わざわざハイド・パークを歩くことなんかないじゃん! それなのに、この章では、「アブラモビッチがいかにボディガードを雇い、彼らに守られる形で逃げるように暮らしているか」に注目が当てられていたの。まったく。
アブラモビッチが莫大な金を手にした影で、シベリアの凍てつくような街でどれだけの人生が破壊されたか…。考えてごらんよ。

その後は、チェルシーはまだトロフィーを獲得してないだの、ラニエリ監督はいろいろチームのフォーメーションをいじるのが好きだったとか、この後は宇宙旅行でもするんじゃないか、みたいなことが書かれて終幕となった。
ところどころでモウリーニョの話が出てきたけど、モウリーニョってば、むちゃくちゃ傲慢っぽいね。チェルシー・ファンだった私、モウリーニョのことはもうとっくに知っててもおかしくないのだけど、このところ、チェルシー自体に興味を失っているせいで全然情報を追ってないから、"Abramovich"の中でちょこちょこっと引用されたモウリーニョのコメントを読んでぶっ倒れそうになった。もしあの通りに描かれた人間だったら、傲慢どころの騒ぎではすまないと思う。

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