オリガルヒ

1990年代のロシアについて。主にオリガルヒ。時々チェチェン。まれにイラク、パレスチナ、その他紛争地。 自分はこれからどんな惨めな人生を生きていくことになるのだろう。考えている。

Tuesday, February 15, 2005

調査報道じゃなきゃだめなのよ、私にとっては

前回の投稿からずいぶん時間が経ってしまった。あの後、3冊の本は無事1月31日に配達された。そして、2月1日に学校へ行って、それからなんだかんだでぐちゃぐちゃな生活になっている。
とりあえず目下の課題は、卒業論文で、これは1月31日までの提出期限だったのだけど、未だに書けてない。焦りと涙が出そうになってくるけど、仕方ないよね。なんか、もう放棄したくなってる。でも、早めに仕上げて、ウェブ上に載せるつもり。今日か、明日には。もしかしたら、明後日か…。できれば、今週中に。
本当は昨日のうちに仕上がる予定だったし(零時を過ぎちゃった…!)、実のところ先々週末に仕上がる予定でもあったのだけど、ずるずるここまで来ちゃっている。うまくいかない。マニュアルのほうもまだできてない。この卒論は締め切りが緩やかなんだけど、そういうのって、どうにもやる気が起きない場合がある。逆に締め切りがきちっと決められているもののほうが、気合で終わらせられる場合が多い。作業を始めたらどの道4時間ぐらいで終わるんだけどね。頑張ってできないことはないはずなのに、その作業に取り掛かるまでの心を決めるまでが難しい。
ユガンスクネフチェガスの件も、あれっきり全くニュースを追っていない。まずい。どうしよう。駄目人間になっちゃってる!

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そんな中、今回投稿しようと思ったのはライブドアとフジテレビについて書いてみたくなったから。
この件は、フジテレビを影響下に置こうというライブドアの試みによるもの。具体的には、フジテレビの筆頭株主であるニッポン放送株式会社の株をライブドアは取得し、フジテレビへの影響を持とうとしている。これより先の1月に、フジテレビはニッポン放送を完全子会社にしようとして、株式の公開買付けを行うと発表していた。ライブドアは、2月の頭の時点でニッポン放送の35%の株の取得に成功している。一方で、フジテレビは今後ニッポン放送株の25%を取得することで、ニッポン放送のフジテレビに対する議決権を無効にしようとしているという。商法の規定では、相手の株式の25%以上の株を得たら、相手の会社から自社に対する議決権がなくなるとのこと。そうすることで、フジテレビは、ニッポン放送@ライブドアがフジテレビに対して議決権を持つことを避けたいらしい。

この件に関して私はあんまり関心が持てなくて話を追っていなかったのだけど、今月13日ライブドアの堀江社長が「フジテレビがニッポン放送株を25%以上取得した場合、ニッポン放送に増資をして、株を増やして、フジテレビの持っている株の率を25%以下にする」と言ったというニュースがあって俄然興味を引かれた。
これって、株式の希釈だね。そしてものすごくオリガルヒっぽいのよ。ホドルコフスキーだって、アブラモビッチだって、株式の希釈を行っている。90年代のロシアのはちゃめちゃな時代を見たとき、株式の希釈で相手の株の率を下げるっていうのは、常套手段だった。それで、そういうふうな可能性について、公然と言及しているライブドアが突如、とってもオリガルヒっぽく見えて、私の関心に入ってきたというわけ。

こういうふうにメディアに進出するってのも、かつてはベレゾフスキーとか、最近ではプーチンを思い浮かべてしまう。メディアをコントロール下に置くことで、次のステップに行くんだ。(グシンスキーは、彼の野望として心からメディア王になりたかったようだから、この流れとは違うけど)
加えてこの方法は、今までの日本のマスコミの世界ではめずらしいほどに株式重視戦略だと思う。概して日本の従来の風習では、株というのはそんなに重要視されていなかったように思う。株の持ち合いも多かった。一方で、90年代のロシアでは、株こそがものを言ったんだよね。株を取ることで、会社をどんどん乗っ取っていった。こういう方法を選択する点もオリガルヒっぽい。
そんなふうに思って振り返ってみたら、ライブドアが野球チームを獲得しようとしたのも、アブラモビッチがチェルシーを獲得しようとしたことに似ているとも思えてきた。スポーツから入っていって、知名度を上げる、と。それは効果的なことだ。アブラモビッチが証明しているし、ライブドアの名前も1年前より格段にあがっているのだから。
そうやってみるとライブドアの行動に、ユコスとかシブネフチの面影を見出してしまいそうになるけど、これはライブドアが真似ているというよりも、単に成功するために必要なことっていうのはどの国でも同じだという事実を示しているだけなのかもね。(でも、ライブドアは政府との癒着度が低いから、ユコスみたいに最後には空中分解したりして)

といったことを考えていて、ではライブドアがフジテレビに対して影響力を持つというのは歓迎すべきことなのかというと、そうじゃない気がしてくる。
最近面白く読んでる小林恭子の英国メディア・ウオッチ経由で、江川紹子ジャーナルの記事を知った。ここと、ネットは新聞を殺すのかblogの最近の5記事ぐらいを読んでみて、ライブドアが提唱している未来は私にとってあまり魅力的ではないと思った。

堀江社長と江川氏の会見の中で、堀江氏が既存のマスメディアへの無尽蔵の信頼を壊そうとしているのは分かったし、それは私も必要なことだと思っている。現在のマスメディアっていうのが、とても大きな信頼を得ているのは紛れもない事実で、特に新聞は変なことも多く書かれているのに、掲載されていることは事実だというお墨付きがつけられているようで、それは大変な問題だと私は思っている。
だから、その信頼を壊すことは絶対に必要だ。現実の社会というのは、新聞で書かれているような、少し読んだだけで簡単に分かった気になれるような単純なものではない。もっともっと、多元的な複雑なものだと私は信じてる。
だけど、ここで私が思い描いているのは、パレスチナのテロは報道しても、イスラエル側の正規軍による蛮行は報道しないとかそういうことなのよ。

一方で堀江氏は、私のような理想論の上にマスメディアを壊そうとしているわけじゃない。インタビューを読んで、彼が何よりも先に商売をしたいのだと私は思った。
彼は、情報を扱うことが儲かる仕組みになると考えていて、それを達成するために既存のメディアと組むのがいいと判断したらしい。それっていうのは、マイクロソフトがNBCと組んで、MSNBCというチャンネルを作ったのにも似てると思う。インターネットのノウハウがあるところが、既存のメディアと組むことで生まれる可能性は大きいという主張には肯けるものがある。

ただし、それは私にとって全然魅力的ではないのだ。
最近、卒業論文と研究会のプロジェクトがどちらも手間取るものになってきていて、どちらを優先するべきか時間配分を考えることが多い。その中で分かってきたのは、私は単に新しいものや、単に儲かるものじゃ駄目だと思っているということ。研究会のプロジェクトは、結構新しいもので、既存の枠組みを打破するようなものとも言えなくもないんだけど、やってて、全然楽しくない。単純に情報を今までとは異なる視点で提示することなんか私にとっては興味がないことなのだ。
そうじゃなくて、私がやりたいのは、調査報道を支えるということ。大事なのは、情報の提示の方法じゃなくて、どんな情報を提示するかということなのよ。質の問題が最重要問題。場合によっては、古臭い手段で全然いいと思う。とにかく、現在の世界の問題点を明らかにするような方向でジャーナリズムを改革していかないと意味がないと私自身が思っていることに気が付いた。今回のライブドアの件を見ても、そういう自分の志向を強く感じる。