オリガルヒ

1990年代のロシアについて。主にオリガルヒ。時々チェチェン。まれにイラク、パレスチナ、その他紛争地。 自分はこれからどんな惨めな人生を生きていくことになるのだろう。考えている。

Thursday, November 25, 2004

なぜチェルシーFCを買ったか?

アブラモビッチには本当に感謝している。もし彼がチェルシーを買うことがなかったら、私はオリガルヒに興味を持つことも、チェチェンの情報を追うことも、パレスチナのことを知ることも、マスメディアの情報に不信感を抱くこともなかったと思う。

ありがと! ロマン!

…。なんてね。ダメだ。なんか、神経衰弱になりかけてるかも。けど、まさに2003年の夏から、いろいろな見方が変わったのは動かしようのない事実。それまでも、いろいろ疑問に思うことはあったけど、こういうふうな形で花開いていくとは考えてもみなかった。

そんなわけで、"Abramovich"の到着を心待ちにしてるんだけど、この本の中には、彼がなぜチェルシーを買ったか、著者の推測を書いてあるそうだ。だから、それを読む前に私が今思っていることを書いておきたい。一つの記録として。つまりチェルシーを買った理由に関して。

彼がチェルシーを買った理由は、有名になりたかったからだと思う。これは、虚栄心とかそういう意味ではなく、有名になることで保護を得たかった。ロシアにおいては、ホドルコフスキーの件を見ても、オリガルヒがいきなり投獄されるとかっていうのは、普通にありうることだもんね。
けれど、今のように有名になったら、そう簡単には手を出せない。2003年の夏の時点では、こういうふうには思いつかなかったけど、その後、ホドルコフスキーの件を見て、グシンスキーとベレゾフスキーの事も知った今なら分かる。
彼がやろうとしていたことはものすごく読みが良かったと思うし、狙い通りになった。状況をきちんと分かっていたんだね。さすがだ。その後、彼はシブネフチの株は売り払ったし、アルミの会社の株もデリパスカに売ったと聞く。着実に資産を持ち逃げしてるよ。

でも、有名になりたかったのはいいとして、なぜサッカーか? なぜチェルシーか?という疑問は残る。最初の疑問に対しては、近年、サッカーがヨーロッパでものすごく人気のあるスポーツだからということで、片付けられると思う。人気のあるところに絡んでいけば、有名になるのも楽だよね。実際、サッカー・バブルは弾けた後で、金欠な状態にあったから、彼のお金というのはものすごく注目を引いた。今となっては、ヨーロッパのサッカー界でアブラモビッチの名前はあますとこなく知れ渡ったわけだ。有名になるということを目的としたとき、これ以上の手はないんじゃないかな。

では、なぜチェルシーか? これはチェルシーでなくても良かったと思う。ただ、売りに出されたのがチェルシーだけだっただけのことで。
彼にとって必要だったのは、相手がロンドンに位置していることだと思う。ロンドンっていうのは、不思議な都市だね。ロシアの影響力が全くない。いや、逆にロシアと対決してるような感じもするよ。
例えば、チェチェンのザカーエフを保護してるよね。ロシア政府は引き渡せといっているけど、イギリスの裁判所はそれを認めなかった。また、2003年の9月には内務大臣がベレゾフスキーに庇護を与えている。

つまり、ロンドンっていうのは、クレムリンと対峙する人間が逃げ込む場所としては、とてもいい場所なんだ。グシンスキーも、ロンドンにしばらく逃げていた時期がある。

そういえば、今日のフィナンシャル・タイムズによると、先週ユコスのトップがロンドンで会議を開いたとか。前に名前を出したスティーブン・シードもロンドンに逃げてきてるし。

そう、ロンドンじゃなきゃダメだったんだ。

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ところで文頭に戻ると、なぜオリガルヒから私の興味が広がっていったかというと、まずオリガルヒがプーチンと対立していることは2003年の夏の段階で明らかで、プーチンがどんな政治を行おうとしているかを考えるには、チェチェンのことにも注目せざるを得なかったから。プーチン政権とチェチェン紛争は切っても切れない。それで、チェチェンのことを追っていくとなると、パレスチナ問題にも突き当たってしまう。この二つの問題の根底には共通した傾向が見られるし、両方に興味を持っている人は多いね。そんなこんなで話を追っていると、マスメディアに流れない情報の流れが存在することに気づきだした。

けれど、マスメディアに関する私の不信感は、やっぱりアブラモビッチの件で確定されたような気がするなー。アブラモビッチがチェルシーを買った当初、新聞やテレビにおいて、彼のことは「石油で儲けた人」として紹介された。ただそれだけ。その記述が見当違いだとは言わないけど、説明になってないよ。ソビエト社会主義共和国連邦においては、企業などは全て国営だった。石油資源も国のものだった。まったく、共産主義よ。だから5ヵ年計画とかがあったんじゃない。
そんな状態から、なぜ資産が1兆円を越すような大富豪が出てくるのか…? それを「石油で儲けた」という一言で説明するなんて無茶だと思う。どこかの王族の話をしてるわけじゃないの。資源を世襲したわけじゃない。
そうじゃなくて、ロシアの資本主義化の中でこういう人たちが誕生したんだ。それなのに、石油という枠組みで一括りにされ、それで何かが解明されたような気になる。そういうのはおかしいと思ったんだ。

まぁ、少し譲歩すると、私がこの問題にとりわけ興味を持ったのは、チェルシーのファンだったからであって、そうじゃなかったら無関心なのも仕方ないかな。チェルシーを気に入っているものとしては、一体どのようにして稼がれたお金なのか、知らないでは済まされないと思った。けれど、そうじゃなかったら、“彼は石油で稼いだ人”という認識でも構わないよね。全ての情報を追いかけるわけにはいかないもの。時間も足りないし、エネルギーも。私も追いかけられない情報が山ほどあるから、このことで責めるわけにはいかないね。

あと、これは前にも書いたことだけど、イギリスのメディアは、彼がオリガルヒだってことや、悪いことをたくさんしてきたことを分かっているはずなのに、ずいぶんと甘かったよねー。全然悪いやつだって書かなかった。
あの当時、フィナンシャル・タイムズがなんて書いていたか注目しとけばよかった。フィナンシャル・タイムズってどうも読みにくいからチェックしてなかったんだけど、クリスチャ・フリーランドがいるんだもん。良いことを書いてくれてたんじゃないかなー。一方で私が読んでたガーディアンとか、インデペンデントは甘かった。これは覚えてる。

Wednesday, November 24, 2004

"Godfather…"と"Abramovich"

たった今、アマゾンでポール・クレブニコフ著の"Godfather of the Kremlin"と、ドミニク・ミッジリーとクリス・ハッチンズの共著"Abramovich: The Billionaire from Nowhere"を注文してきた。
発送予定日は、12/4~12/5。合わせて4784円。卒倒しそうなぐらい高い。これでいいのかどうかよく分からない。発送は早くても12/2以降になるだろうし、それまでならキャンセルできることはできる。でもしないだろうね…。

"Godfather of the Kremlin"を買うのには何の躊躇もないんだ。このブログで何度も参照したでしょ。ここまで話題にしておいて読まないとしたら、それこそ犯罪だ。何度もAmazonの内部検索で内容を確認したし、読む価値があるはず。

一方で問題なのは"Abramovich"のほう。これは、Amazon.co.ukをつれつれ見ていたらたまたま出てきただけで、どこかで薦められた本ではない。だから保証はゼロ。Amazonのほうでは本の取り扱いそのものがないから、内部検索もできない。
気になっているのは、来年の5月に"Abramovich"の方はペーパーバック版が出ることになっている。その発売に伴って、文庫版への後書きとかが足されてたらやだなー。今高いの買って、結局内容が少ないってことだもんね。
そう、例えこの本が読むに値するとして、ハード・カバーで買う必要がある? 今は3267円だけど、ペーパーバックなら1800円ぐらいまで下がるだろうし。

でも、今すぐ読みたくなっちゃったんだなー、これが。

昨日、どんな本なのか知りたくて、あちこちの書評を見てみた。
ガーディアンテレグラフはあんまりお勧めって感じではなかった。
一方でタイムズはものすごく推してた。タイムズいわく、「"Abramovich"は、サッカー記者の多くが'こんな本を書けたら良かったのに'と思うような本だ。もし1シーズン、日々の仕事を脇に置いておけたら。」とのこと。絶賛だ。

しかし、そのタイムズですら、「この本の中で、本来無慈悲な人間(=アブラモビッチ)が、優しい人物として描かれている」と指摘している。
このことは、ガーディアンとテレグラフも指摘していた。アブラモビッチは本来オリガルヒで、悪いこといっぱいしてきたのに、それらの悪事にはほとんど触れず終わっている、と。これはオリガルヒ研究本としては致命的な欠陥だね。誰を誘拐したとか書かなきゃダメじゃん。というか、それはタイムズも言っていることか。“~サッカー記者の多くが~”と、という限定は何気に意味深い。これは、オリガルヒ研究本ではなくて、サッカー関連の本なんだ。なんと!

この本を書くにあたり、ミッジリーとハッチンズはアブラモビッチの会社のトップと話をする機会をもらったそうで、そのお返しにアブラモビッチを良い人間として描かざるを得なかったようだ。
そういう意味では、この本はアブラモビッチに関するPR本とも言える。

でも、それでもいいかなって思った。彼の生い立ちとか、私知らない点が多すぎるから、一つ本を読んでみて、流れに沿って追いかけたい。
この本で、何か革新的なことが分かるとは期待してないよ。だけど、幼いころの話はいろいろ出てくるらしいし、それは貴重だよね。
ガーディアンの書評でも、ミッジリーとハッチンズは良く調べてあると書いてあった。

あと、ペーパーバックの表紙より、ハードカバーの表紙のアブラモビッチのほうが写りがいい。それはハードカバーで買う利点と言えば利点…。

それにしても、ハードカバーで登場してから、7ヶ月でペーパーバックが発売されるのっていうのは早いほうだよね。
"The Oligarchs"は、ハードカバーが2002年の1月で、ペーパーバックが2003年の12月。"Sale of the Century"なんか、ハードカバーが2000年の5月で、ペーパーバックはまだ出てないもん。
7ヶ月ってことは文庫版に向けた追記はないかな。追記したくても、書くことないだろうし。オリガルヒに関して言えば、ガスプロムネフチの誕生やユガンスクネフチガスの売却など注目でいっぱいのこの数ヶ月だけど、この本はサッカー関連本なんだから。

まぁ、とにもかくにも到着が楽しみ。これで、来年の4月ぐらいまでは読む本に困るってことはなくなるね。4月になったら、お待ちかねの"Sale of the Century"だ。

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ところで、"The Oligarchs"を読み終わったので、予定通りアンナ・ポリトコフスカヤの"Putin's Russia"に入ったのだけど、いきなり奈落のどん底に突き落とされてしまった。
彼女がどんな記事を書くのか忘れてた。前作、"A small corner of Hell"を読んだのは9ヶ月は前だし、その後読み直すことはあっても、衝撃というのは薄れていた。

"Putin's Russia"では、チェチェンのことではなく、ロシアが抱えている悲劇を注目しているような感じ。でも、まだ分からない。読んだのは最初の5ページだけだから。
(5ページ読んだところで気後れして読むのを止めたの…)

2002年の1年間で、ロシアの軍隊では500人が、軍内部のリンチ・いじめによって命を落としたんだって。上官っていうのは、部下のお金を盗んだりするとか。
もう、「は?」って感じになって、その時点でビビりまくってしまった。ロシア軍ってそんなことになっていたの…。
この本、この後、どんなことが書いてあるのだろう。

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そんなこんなで、"Putin's Russia"。最後の追伸のところを読んでみた。
7/10がこの本の締め切りだったそうで、その前日にはクレブニコフの殺害があった。同じ日に、ウラジオストクでロシアの下院議員のチェレプコフが爆弾で命を落とした。
7/8,9,10には、銀行がつぶれるという噂で、多くの人がお金を下ろしに銀行に行った。アルファ銀行からは、72時間で2億ドルが引き出されたとか。
7/9には、プーチンの支持者のチカノフがユコス・モスクワのトップに任命された。
締め切り前の数日間にも、いろいろなことが起きている。

これに加えてポリトコフスカヤが書いているのは、ホドルコフスキーと仲間は会社をつぶさないため、ユコスの株を政府に渡そうと申し出たのに対し、その申し出は通らず、会社をつぶすという方向で話が動いていること。

ユコスの件も調べなくちゃね。

あれから、アレクペロフのことは結構調べたんだ。アレクペロフはプーチンと協調路線をとっているなんてもんじゃないことが分かった。これに関しては、またいずれ。

Monday, November 22, 2004

書評:"The Oligarchs"

これは、先に延ばしてしまうとやらなくなってしまいそうなので、今のうちに。"The Oligarchs"の書評を。
全体としては、とんでもない情報量で、非常にためになる本。文句なしでおすすめだよ。

細かい内容については、今までたくさん書いてきたのでいいとして、総括すると、ロシアのオリガルヒに関する最高の入門書だと思う。
(最高のとかいっても、オリガルヒに関する本はこれしか読んだことなくて、他のと比べたわけではないんだけど)

なぜ入門書かというと、デイビッド・ホフマンがこの本で目指した目的は、既に公に知られている事実を可能な限り網羅することだったと思うから。

ここには何か革新的なもの、意外な見解はほとんどない。彼とベレゾフスキーの関係からすれば、もっともっと書けたとは思う。もっとずっといろんな秘密を知っていたはず。だけど、そういうことはせずに、あっさりとした内容に終始している。
その点では、オリガルヒ研究をたくさんしてきた人には向かないかな。オリガルヒって本当に謎だらけで、疑惑だらけでしょ。殺人も指示してるだろうし、恐喝も、詐欺も。そういった疑惑に真っ向から立ち向かう本ではないの。

けれども、初心者にとっては、これでいいんだと思う。いきなり秘密を暴かれても、基礎知識が何にもないところではどう処理していいか分からない。疑惑を疑惑だと理解するためには、背景知識を持っていることが前提なんだ。
その背景知識を得るということに関して、"The Oligarchs"ほど参考になる本はないと思う。500ページの本編の中で重要な出来事はほとんど網羅されてると感じた。
逆に、疑惑に関しては意図的に排除されているようだ。そのおかげで、この本の情報の信頼度は高くなっている。それっていいことだよね。この本に書かれたことに、本当かどうか疑わしい出来事はないんだ。

問題はといえば、彼がこれを書いたのは2001年なんだけど、それと今とでは事情がかなり違っていること。この本はもう古くなっちゃってる。
この本は、スモレンスキー、ルシコフ、チュバイス、ベレゾフスキー、ホドルコフスキー、グシンスキーの6人に注目していて、特に前半の30ページから174ページまでの145ページを費やしてそれぞれの生い立ちを追っている。これらの人のファンにはたまらない情報だわ。
一方で、それ以外の人物の取り扱いがすごく少ないの。ベレゾフスキーと関係の深かった、フリードマンやアーベン、ポターニンなどは結構出てくるんだけど、ベレゾフスキーから遠い場所にいた人の記述が圧倒的に足りない。アレクペロフが全部で3ページにしか出てないってのは前にも書いたよね。ボグダノフは2ページだし。
またロマン・アブラモビッチの名前が出たのはたったの2回。405ページと、489ページのみ。インデックスもされてなかった。アブラモビッチって、ベレゾフスキーのパートナーじゃなかったんだっけ?
この本を読んだ理由の一つが、アブラモビッチ情報を読みたかったことだったから、その点で残念だった。"The Oligarchs"は、Amazonで本内検索ができないから、こんなに取り上げられてないとは知らなかったのよ。

それでも、この本を読んだことで、私に圧倒的にかけていたオリガルヒ全般に関する知識というのを得ることができて本当に良かったと思う。素晴らしい本だ。よくぞ、ここまで網羅してくれた! 恐れ入った。デイビッド・ホフマン、すっげー☆☆☆☆☆

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デイビッド・ホフマンってのは、もともとレーガン政権に関していろいろ書いて名前をあげた人なんだよね。その後、エルサレムで特派員をした後、モスクワの支局長になった。今はとっても偉い立場になったみたい。
これは書こうかどうか迷うのだけど、知ってしまったんだからどうしようもない。既婚。子供二人。奥さんのキャロル・フレミングさんは、デイビッド・ホフマンと同じ大学出身。な~んてことを書いても、別にホフマンのストーカーはしてないんよ。これらの情報は彼らの出身校、ユニバーシティ・オブ・デラウェアのページに出てただけ。情報源としては至極まっとうだね。

ついに読破、"The Oligarchs"

"The Oligarchs"。読み終わった。ようやく。良かった良かった。読み始めたのは確か10月18日だったから、結局1ヶ月以上かかってしまったね。

この本は、2001年にハードカバーで出たんだんだけど、私が読んでる文庫版は2003年のもの。一番最後には、文庫版用に後書きが書き足されていて、その日付は2003年の10月27日になっていた。これって、10月25日にホドルコフスキーが逮捕された直後だね。

後書きでは、ホドルコフスキーの件にも少しだけ触れられていた。

その前に、Hardball and Silver Bulletsについて書かなくちゃ。
前回読んだところには、グシンスキーに闇が迫ってることが書いてあったけど、その後グシンスキーはロシアから脱出することになった。
同様に、ベレゾフスキーもプーチンと不仲になり、ロシアから亡命。

グシンスキーとベレゾフスキーが追い出されたのって、驚きでもなんでもないんだね。このことに気づかなかった私は、本当にどうしようもないぐらい頭が足りなかったとしかいいようがない。
グシンスキーはNTVを、ベレゾフスキーはORTを持っていたんだもん。そのことは、エリツィン再選に関する投稿で書いたけど、それをプーチンとの関連で捕らえることはなかった。

今になって気づくのは、プーチンがグシンスキーとベレゾフスキーをぶっ倒そうとするのは当然だ。
国営のRTRと合わせて、NTVとORTがあれば、メディアをコントロールできるんだから。
プーチンは、自分のことがテレビによって作り出された大統領であることをきちんと認識してるらしい。だからこそ、テレビを押さえにかかったんだ。

そして、文庫版の後書きを読んで思ったのは、ホドルコフスキーの事件、別の切り口で見たほうがいいかも…、ということ。
というよりも、私はなにか事実を思いっきり勘違いしたかもしれない。

ホドルコフスキーがプーチンの政敵になろうとしてたから、プーチンがホドルコフスキーをつぶしたと思ってたんだけど、事実は逆で、先にプーチンの側から、攻撃があって、それに対抗するためにホドルコフスキーは政敵として立候補し、プーチンからの攻撃を全面対決ということで、対抗しようとしてたような気がしてきた。

少なくともデイビッド・ホフマンはそういうふうに書いてる。
2003年の7月2日にメナテップ・グループのトップのレベデフが逮捕された。それがこの抗争が初めて表面化したものだよね。
ホドルコフスキーが大統領選に立候補する意向を示したのっていつだったかな。7月よりは後だったと思うんだけど、これは確認しなくちゃいけない。

とにかく、この逮捕の前に起きた事件としてデイビッド・ホフマンが注目してるのは、2月20日のクレムリンの会議で、その場でホドルコフスキーがセベルナヤネフチの売却について文句を唱えたという。
それに対してプーチンは、「(お前の)ユコスは過剰な油田を所有してる。どうやってそれらを得たんだ?」と脅すような口調で尋ね返したとのこと。

でもこれがきっかけ? デイビッド・ホフマンは、FSBの人間が裏にいると見ている。
FSBの中には、1990年代のオリガルヒ経済の中で損な立場にいた人がいっぱいいるんだ。これは、バディム・ボルコフが"Violent Entrepreneurs"の中で書いていたことだけど、FSBというのは、1990年代の初期に大掛かりな人員削減を行った。FSBを離れた人は、オリガルヒなどが所有する私的な警備会社に入り、そこで楽しい思いをした。
大金持ちになった人も多い。
一方で、FSBに残った人間というのは、そのように成功していく元同僚達を横目で見つつ、貧しい思いをした人たちが多い。

とすると、ここで、FSBがオリガルヒのNo1としてのホドルコフスキーを標的にしたというのも、理解できなくはないね。プーチンは元FSBで、プーチンの到来によって、FSBは表舞台に復帰中だ。
でもなんとなくうまくまだ説明できない。

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ところで、前々回の投稿で書いた、読売新聞の記事の最低入札額に関する記載はあまり意味がないんじゃないかなと思い始めてる。評価額1兆6000億円に対し、9000億円は、そんなに低くない。
もし本当に低く売るつもりなら、評価額の10分の一、1600億円ぐらいにするだろうからね。9000億円が低いという指摘はなりたたない。

一方で、スティーブン・シードが指摘していることは、考慮の対象に入れるべきだと思う。ユガンスクネフチガスがなくなったら、ユコスは終わりだよ。ユコスが会社として終焉だ。
もしユコスを存続させたかったら、つまり税金を払わせるだけだったら、別の方法がいくらでもあったはず。だけども、そういう選択ではなく、これはユコスを直接つぶすという決定なんだ。そのことが、最初の売却対象にユガンスクネフチガスが選ばれたことで明らかになった。

この決定を下したのは誰だろうかと考えると、分かりやすいのは、プーチンか、別の人かという二分法。
プーチンが自らこれを指揮していた可能性は高いね。プーチンはオリガルヒ以上に徹底的に相手をつぶそうとするから。ホドルコフスキーをぶっ倒すために、全力を傾けている可能性も。

一方で私が好きなのは、どうやら別の人が影で動いているんじゃないかという可能性。もしかしたら、ユコスのユガンスクネフチガスを前から欲しがっていて、そこにホドルコフスキーの事件が起きたから、便乗してユガンスクネフチガスを売ってもらえるようプーチンに頼んだ人がいるんじゃないかという気がしてる。
これは陰謀説だけど、楽しそうだよね。私、陰謀説は好きだ。

いずれにしても、ユガンスクネフチガスをどこが買い取るかはすでに決まっているんじゃないだろうか。
まず最初に除外されるのは外国勢力。BPとかエクソンとかも欲しいだろうけど、彼らが買うことは認められないと思う。この事件に、程度は別としてプーチンが関わっているのは間違いなくて、プーチンはロシアの内部の重要な資源を外国の会社に渡すことは絶対にしないだろう。

そんな危険性があったとしたら、ユガンスクネフチガスを売りに出すという真似はしないはず。つまり、これほど大きな石油会社が普通に売りに出されて、一番高い値段を出す人に「はい、どうぞ」と渡されることなんてありえないんだ。もうこれが誰の手に渡るか、事前に決められているに違いない。

逆にいえば、12月19日にこれを手に入れる人というのは、これまでの全ての過程において、かなり主導的な役割を担っていたはずだよ。彼こそが、ユガンスクネフチガスを売却するように進言し、それが認められた。
それはいったい誰なんだろう。ガスプロムだったら、影武者がプーチンだということで、プーチンの権力がものすごい強いことが示される。これは別に意外でもなんでもないけど。プーチンは、権威主義的な国家を作ってるし、ガスプロムのトップと仲いいのは秘密でもなんでもない。ガスプロムは国営だし。
もし、ガスプロムじゃなかったとしら、面白くなってくるね。今ロシアで誰がもっとも権力を握っているのかが分かると思う。そうなったらいいなーなんて思ってる。でも、そんなことはあり得るかしら。
やっぱりいろいろ情報を追ってみなくちゃね。

"The Oligarchs"はとてもよい本なので概要を改めて書きたい。それは次回以降、機会を見て。

グシンスキーの終焉

昨日は池袋に行った往復に"The Oligarchs"を482ページまで読んだ。

なぜ池袋に行かなくてはいけなかったか…。これは三蔵法師もびっくりの大冒険だ。少なくとも感情的には。
金曜の朝からデスクトップでインターネットにつなげなくなっていた。いや、「つなげなくなっていた」なんて書くと、まるで何の混乱もなかったような感じだけど、実際には世も末だった。何がおかしいのかも分からず、結局一日中再起動したり、いろいろ設定を変えたりした。途中で自暴自棄になって、ウィンドウズの再インストールまでしたり。まぁ、でも、再インストールは前からしようと思っていた。前回のインストールが2月だったから、遥か昔だ。

結局、土曜日になって、ルータの有線のコネクタがおかしくなってたことが判明。無線でつないでるノート・パソコンからはインターネットにつなげた。そうやって、前回の投稿をしたわけ。
でも、デスクトップからインターネットにつなげないというのは死活問題だ。全ての大事で必要なデータはこちらにあって、ノート・パソコンのほうは空っぽも同然。

そんなわけで、土曜日中、頭は混乱していた。
1. ルータの有線部が壊れている。2. けれども、ノート・パソコンから無線接続は大丈夫。3. デスクトップからはもう二度とインターネットができない。4. けれども、ノート・パソコンから無線接続は大丈夫。5. デスクトップからはもう二度とインターネットができない。6. けれども…

頭がループ状態だった。ノート・パソコンから半分壊れたルータを騙し騙し使うこともできる。それに買いものをするのはもともと大の苦手だ。できれば、新しいのを買うのはやめたい。

私には決断力がない。それはこれまでのこのブログでも、これ以上ないってぐらい明らかになってたよね。次の次にどの本を読もうか、永遠に悩んでいる私。しかも、いまだに決められていない。そんな私が、いきなり降りかかった事態に対応できるわけない。買った後も、それで良かったかどうか数ヶ月は悩むのが目に見えてる。

でも、やっぱりノートパソコンで長時間作業するなんてまっぴらだ。
ということで、池袋のビックカメラでルータを買ってきた。今のデスクトップについてるキーボードは、5年ぐらい前のものなんだけど、エルゴノミクス・デザインで本当に使いやすい。インターネットするならこのキーボードだ! ノート・パソコンのキーボードなんて、そう、冗談じゃないぞ!!

そうは言ってもルータの選択にも困ったもんだった。何せ次に読む本さえ決められない私、そう簡単にルータの種類を選べるわけがない。でも今回は、本当に急いでたってこともあって、値段重視で一番安いのをスパッと選んだ。それでも40分ぐらい店内をうろうろしたんだけどね。
もしこんなに切羽詰ってなかったら、お店に行って散々迷った挙句、買わないで帰ってきてたかもしれない。実際、そういうこと何度もしてるんだから。

ただ、この数年で私の生活はインターネットがないとどうしようもなくなった。インターネットが生活必需品の一つになったのだ。てなわけで、意を結して6980円のをゲット。前のになかったステルス機能もついてる。これでデスクトップがインターネットに復帰。良かった良かった。

てなわけで、ユコスについては、まだ調べてないの。調べようと思ったんだけど、パソコンが大変なことになってて、そんなことする気分になれなかった。結局、これが言いたかった。サボったんじゃないよって。

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"The Oligarchs"だけど、昨日読んだところに書いてあったのは、グシンスキーに迫りつつある影について。
「プーチン再選後、グシンスキーに闇の影が迫る…」という感じだったけど、8ページの間には特に大きい動きはなかった。

でも、とても情緒的な気分になる内容ではあった。
今ホドルコフスキーに起きている出来事なんて驚きでもなんでもないんだね。実はグシンスキーにもほとんど同じことが起きてる。彼も脱税の疑惑やらなんだらをかけられ、オフィスに捜査の手が行き、そして逮捕もされた。知らなかったよ。
ホドルコフスキーの件は古典的だったんだ。これがプーチンのやり方だ。この本、早くに読んでれば良かった。ホドルコフスキー事件は、グシンスキー事件の再現なんだよ。驚いたね。

昨日読んだところに書いてあったのは、プーチンがソビエト崩壊前後ぐらいからドイツでスパイ活動に従事していたために、その間に起きたロシア初期の大変化を経験しそびれてしまったということ。確かにそうかもしれない。
そして、プーチンについて、デイビッド・ホフマンが474ページに書いているのは、「彼はエスカレーター式にトップに上り詰めた。一方で彼のライバル、ルシコフとプリマコフは、彼の裏部隊(=ベレゾフスキー)によってつぶされた。彼は、選挙での敗退を乗り越えるということを経験したことがない。実際のところ、彼は政治の舞台における駆け引きには関わったことがないのだ。マスコミとの持ちつ持たれつも、討論も知らない」ということ。

そして、デイビッド・ホフマンはこう結論付けてる。「プーチンはロシアの大統領だけども、考え方はとてもソビエト的だ。とても強権な政府を理想としている。そして彼は全てをコントロールすることを欲しているのだ」と。
この本が書かれたのが2002年。そして、その後何一つ変わっちゃいない。

それにしても本の最後でデイビッド・ホフマンはかなりプーチンの批判をしてる。これは意外だった。私はてっきりデイビッド・ホフマンは、プーチン礼賛の美辞麗句でお茶を濁してくれるのかななんて思ってた。
このあたり、ワシントン・ポストの記者だからできることなのかもしれない、と思う…。例えば、バディム・ボルコフは"Violent Entrepreneurs"の最後でむやみにプーチンを崇めてたのだけど、それは彼がロシア人で、ロシアの大学の教授だということを考えれば致し方ないことかもしれない。現代のロシアに置いて、プーチン批判はタブーだもんね。

一方で、デイビッド・ホフマンにとって、この"The Oligarchs"はロシアへのせん別みたいなもので、彼はこの本を出したころにはワシントンに戻り、ポストの本社で働いていた。ロシアにいないだから、プーチンのことを悪く書いても構わないわけだ。
あともう一つ注目するべきなのは、デイビッド・ホフマンの立場。これは前にも書いたことだけど、彼はオリガルヒたちとものすごく深い関係がある。それぞれの人間と顔見知りだった。とすると、彼はオリガルヒ側から物事を見てるんだと思う。そのあたり気をつけなきゃね。

なんて書きつつ思うのは、私もそうだってこと。私もオリガルヒをどこか離れたところから見てるような振りしてるけど、本当は全然違っていて、実際にはオリガルヒ大好きだもん。じゃなかったら、こんなに夢中に彼らのこと追いかけたりしないよね。
時々自分はオリガルヒのストーカーをしてるんじゃないかと思うことがある。例えば二つ前の投稿で、アレクペロフに関して、「既婚。息子一人。父親はユースフ。公務員」などと書いたとき。これじゃあ、単なるおっかけと同じだね。でも、おっかけでいいんだもん。ストーカーでいいもん。楽しいもん。

というわけで、私もデイビッド・ホフマンと同じように、無意識的にオリガルヒに対して同情的な立場を取ってしまう可能性が高い。それは踏まえておかなきゃ。

でもね、やっぱり、何はともあれ、グシンスキーの逮捕は認められないよ。ホドルコフスキーの逮捕は、彼が悪徳商売人であることを考えれば許せるんだけど、グシンスキーは国営企業を二束三文でかっぱらうということはしてないし、彼のNTVは一応にも自由な報道というのを確立しようとしてた。
彼のどんな権力にもなびかない姿勢というのは高く評価できると思う。だって、それこそがジャーナリズムでしょ。それこそが、調査報道(Investigative Journalism)を支えるものじゃない。このせいで全てを失うことになったのは悲劇としかいいようがない。アレクペロフやアブラモビッチは、プーチンと協調路線をとって、うまく生き延びてるけど、世界はそんなもんじゃない。そんなもんであるべきじゃない。
グシンスキーは、オリガルヒだったけど、不屈の精神を持っていたし、それはジャーナリズムにとっては大事なことだった。第一次チェチェン戦争のとき、グシンスキーのNTVは、政府の発表を覆すような事実を思いっきり報道した。これはプーチンには受け入れられないだろうけど、そう、大事なことなんだよ。

そんなふうにむかつきながら読んだ。

Saturday, November 20, 2004

ユコス解体-これじゃぁオリガルヒと同じじゃん

本を読むだけじゃなく、最近の出来事も追っていかなくちゃね。
Yahooにも出てた読売新聞の記事によると、昨日、ユコスの一部、ユガンスクネフチガスが来月19日に競売に出されると発表されたそうな。

これ面白いね。どうなるんだろう。
読売新聞の記事によると、欧米金融機関の評価額1兆6000億円に対し、ユガンスクネフチガスの最低入札価格は9000億円。これは、ガスプロムなど政権に近い企業が落札しやすいように意図的に低くされたという見解もある。
一方で、ユコスの社長のスティーブン・シードは、「いきなり中核資産を競売にかけるのは、国家による政治的な強奪だ」と言っているそう。

シードの発言、私は同感。もともとプーチンのこのやり方は気に入ってなかったけどね。

ユコスの事件に関して、私ちょっと、背景知識が足りないわ。あんまりこの事件は追ってなかったのよ。過去1年ぐらい、イラクの方のニュースを追ってて、こっちは無視してきちゃった。
猛勉強しなきゃ! 今すごいことになってるんだし、この事件を単に傍観するわけにはいかない。

とにかく今よく分かんないのは、どうしてユコスだけがこんなに脱税の件で咎められなければならないかということ。いやこの書き方は曖昧だね。なんでユコスだけなのは分かってる。プーチンと敵対したから。
でも、よく分からないのは、この事件が政治的なものだっていうことが何よりも明らかなのに、こういうふうな方向性で物事が進むことがどうやら一般的には是認されているということ。信じがたいな。

そりゃ脱税はよくないさー。けどね、「脱税してるのがユコスだけだ!」なんてのは信じられないんだけど…。
ユコスが脱税してるのに、シブネフチはしてない? ルクオイルは脱税してないの?そんなことあるかねー。

ロシアの税金っていうのも、これまた興味深いもので、数年前まで脱税っていうのはあたりまえのことだったそうだ。
1990年代、税金は利益の110%とかになっていて、まともに税金を払っていたら、会社を経営していけない。だから、皆脱税してた。脱税せざるを得ないというか。そういうふうに、バディム・ボルコフが"Violent Entrepreneurs"の中で書いてた。
そんな状況を変えるべく、2000年ごろ、プーチンは税率を下げ、「税金を少なくするから、ちゃんと払えよ」みたいな方向性にしたのよね。これ自体はプーチンの賢い動きだったと思う。
けど、そんなにすぐ変わるものかね? ユコスはもともとの雰囲気通りに脱税してたんだと思うんだけど、ユコス以外の会社は全部きっぱり方向転換して税金を払うようになったの?

納得できん。少し時間を取って、あちらこちらの新聞を読んでみよう。


それにしても、この競売っていうのは、ほんとにもう、笑顔で顔が崩れそうになるよ。大笑いしたいのに、楽しすぎて声が出ないというか。呆れるばかりというか。

「政府に近い企業が入札しやすいように」だなんて、オリガルヒとやってることが同じなんだけど…。
1995年のLoans for Shareの競売では、ユコスだけじゃなく、シブネフチなどの企業が競売にかけられ、二束三文の値段で売り払われた。それが今のオリガルヒの資産の原型になったもの。

来月の19日に行われることって、その再現みたいな雰囲気が強い。結局同じ穴の狢か。象徴的ではあるけどね。

どこが落札するんだろう。ロスネフチとの合併を控えるガスプロム? スルグトネフチガスも政府に近いよね。
個人的には、ルクオイルに行っちゃってもらいたい! そうさ、ここで生産量を倍増させるんだよ! なんてね♪
実際には、アレクペロフはそんなこと絶対にしない。彼は長いものに巻かれることを選ぶタイプ。例え、その長いものが気に入らなくても。そしてプーチンはたぶん国営企業に梃入れしたいはず。

ただし思い返せば、これまでガスプロムは「ユコスが競売に出されても買わない」って何度も言ってきたよねー。でも、ユガンスクネフチガス単品ならゲットしたいかも??

ガスプロムネフチの誕生と共に、この数ヶ月でロシアの石油企業の勢力図は大きく変化しそうだね。変化の前に予備知識を貯めとかなくては。

Thursday, November 18, 2004

アレクペロフに心惹かれて

今日は出かけたついでに、"The Oligarchs"を470ページまで読んだ。なんだか読み終わるのが嫌だから、いつ読み終わっちゃうかのかとビクビクしながら、カウント・ダウンをしたりしている。そんな状況だね、今は。
長い本を読み終わりそうな時って、いつもこういうどこか寂しい思いがしてたまらない。

別に読み終わっても、何度でも読み返せる。それは事実なんだけれども、この最初に読む幸せ、具体的には、知らないことを知りながら読める幸せみたいなものは、戻ってこないんだ。
他の本を読めばいいじゃないかという指摘もあるかもしれないけど、私にとってそれは別物で、この本じゃなきゃダメなの。
ある本が持っている声とか、雰囲気っていうのは他の本では置き換えられない。"The Oligarchs"に関していえば、デイビッド・ホフマンの語りを楽しみながら、"The Oligarchs"を新しい物語の情報源として読むことは、もう永遠に出来ないんだ。それがとっても悲しい。

470ページまでに書かれてたのは、ルシコフがいかに大統領候補として潰されたかということ。ベレゾフスキーのテレビ局、ORTでドレンコが徹底的なネガティブ・キャンペーンを行った。
私がそれなりに好きな人が、ベレゾフスキーのネガティブ・キャンペーンで潰されるのを読むのはこれで2回目だ。チュバイスに続き、ルシコフ。
ルシコフはモスクワの市長として、なかなかに評価できる。大統領の器じゃないんだけど、プーチンよりはましだったと思うなー。

ベレゾフスキーは、ネガティブ・キャンペーンが本当に得意だね。アメリカの大統領選はネガティブ・キャンペーンが核となる役割を果たしているそうで、先日の大統領選でもそういう宣伝があった。でも、あんなのたいしたもんじゃない。
ここロシアでは、司法制度が成熟しておらず、オリガルヒたちが好き勝手できる無法地帯が形成されていたわけで、真実とは程遠いことも、相手を潰すために積極的に使われた。
不幸だったのは、ルシコフがそれに対抗することを選ばなかったこと。彼は、モスクワという自分の庭でのんびり過ごしていたので、世間の荒波に揉まれていなかった。残念、ルシコフ… というところで470ページ。

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皮肉なのは、ベレゾフスキーとその他がプーチンを推して大統領にしたわけだけど、その後の出来事を観察すれば、ベレゾフスキーがルシコフに大統領の座を渡さないために選んだ相手は、とんでもない怪物だったってことだよね。

プーチンは怪物だと思う。いくつかの点で、ロシアの経済を良い方向に導いたのも事実だけど、チェチェンへの対応は酷いもんだし、政敵を潰す方法は、オリガルヒも真っ青だ。ネガティブ・キャンペーンをするだけだったオリガルヒに対し、プーチンは司法を使って、ホドルコフスキーを逮捕しちゃったりするんだから。
もちろん、ホドルコフスキーも怪物なのは事実で、罪深いことはいっぱいしてるから、彼が逮捕されるのは当然なのだけど、プーチンのあのやり方は受け入れがたい。自分のライバルを排除することが目的で、逮捕したんだからね。

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ところで、そんなプーチンともしっかり絆を築いたルクオイルのアレクペロフ、まだ本気で調べてるわけじゃないんだけど、知れば知るほど面白い。

予定調和というかいつも通りAmazonに行き、"Godfather of the Kremlin"の本内部の検索をして、アレクペロフに関する文章を読んだ。
とはいっても、連続した5ページ分だけ。それしか出てこなかったのだ。"The Oligarchs"でも彼の扱いは少なくて、全部でたったの3ページにしか出てこない。

アレクペロフはメディアへの露出が極度に少ない。それはもう信じがたいほどだ。彼のルクオイルはロシアで一番の生産量を誇り、彼は石油という分野で国営企業を切り分け小さな会社を作るという試みを初めて行なった人なのに、注目されない。ベレゾフスキーだって、ホドルコフスキーだって、アレクペロフの後を追ってったんだよ。
だから、私もこんなに重要な人だということに気付けなかったんだと思う。勉強不足っていうのもあるけど。

とりあえず基礎的なデータを。
既婚。息子一人。資産は4000億円ほど。
1950年9月1日、今はアゼルバイジャンだけど、当時はソビエト連邦のバクー生まれ。
フルネームは、バギート・ユースフォビッチ・アレクペロフ。ってことは、彼の父親はユースフという名前だってことだね。RussiaToday.infoの情報によれば、ユースフは公務員だったそうな。
名前の英語表記は、Vagit Yusufovich Alekperov。ロシア語では、Вагит Юсуфович Алекперов。
英語表記はYusuphovichというのもあるみたい。フォーブスではそうなっていた。苗字はpの後のeに強勢が置かれるみたいだね。

油田と石油精製所をまとめて、一つの会社にするという方向は、彼がロシアで一番最初にやったこと。それがルクオイルで、ロシア最大の石油会社になった。生産量は2002年までずっと圧倒的なトップだった。その後、2003年にこれまた驚異的な発展を遂げたユコスに抜かれたんだけどね。

彼は天性のオイルマンといったらいいのかな。他のオリガルヒが、異なる環境からやってきて、石油の分野に入っていたのに対し、アレクペロフはもともと石油関係の大学を出て、ソビエト時代から石油業に関わっていた。
コガリムという街の責任者になり、数年でその油田を飛躍的に成長させた。

面白いのは、ソビエト崩壊やオリガルヒなどの出来事が起こるずっと前、1990年の時点で彼は石油会社をどうやったら作ろうかと考えていたということ。"Godfather of the Kremlin"の191ページにそう書いてあった。

そして更に興味深いのは、彼は他の多くのオリガルヒとは違って、妥協するんだよね。
例えば、ベレゾフスキーやグシンスキーは絶対に妥協しない。何かを欲しいと決めたたら、執拗にそれを追い求め、何が何でも手に入れようとする。
けれど、アレクペロフは、例えば1995年にはオムスクの製油所をベレゾフスキー&アブラモビッチ組に譲ったりしてる。この製油所はアレクペロフのものだったわけではなく、ルクオイルが10%のシェアを持っていただけなんだけど、"Godfather of the Kremlin"の記述を読むと、特に問題なくシブネフチのものになったようだ。

妥協ができるからこそ、交渉もできる。「カザフスタンのタンギスのプロジェクトに参加させてくれたら、ロシアのパイプラインを使えるように口を利くよ」みたいに言って、シェブロンと協力関係を築いた。
同様に、ティマン・ペチョラの油田ではエクソンと協力関係を築いた。

他のオリガルヒたちがいかにロシア内の国営企業の資産を私有化しようかと頭を捻っていた一方で、アレクペロフが率いるルクオイルは、とても活発に外国にその発展の道を求めた。

そういう意味で、アレクペロフは一般的なオリガルヒとはやっていることが少し違う。1990年代のクレムリンの権力争いにも関わってないし。
ただし、RussiaTodayの情報によると、アレクペロフは1996年の大統領選では、西シベリア南西部のチュメニ区で、エリツィンの使者として動いていたというから、政権とも近い関係にあったのは間違いないけどね。
彼はどうやらエリツィン・グループじゃなくて、チェルノミルディンと近い立場にあったみたい。

一方で、これは典型的なオリガルヒの行動なんだけど、メディアの分野にも進出している。イズベスチャの株はかなり持っていた。サンクト・ペテルブルグ・タイムズの記事によると、1997年の段階で、ルクオイルとその子会社を通して40%のシェアを保持していたとのこと。それらが最近もそのままなのかどうかは不明。

イズベスチャに関して私が心惹かれたのは、プラウダの記事
1994年にアレクペロフの外国人のパートナーが、イズベスチャ紙上で、アレクペロフを批判するPRを載せようとしたところ、アレクペロフが直々にイズベスチャにおもむいて編集長のイゴール・ゴレムビオフスキーにそのPRを載せないようにしたというもの。このくらいは別に普通なんだけど、すごいのはそれに続く文章で、プラウダの記事には「ちなみに、その外国人のパートナーたちはその後、誘拐されるか殺される運命を辿った」とのこと。

アレクペロフ、気に入ったわ。彼はオリガルヒだ。
私の中では、「オリガルヒは殺人を犯すもの」という若干意味不明な条件があって、アレクペロフは文句なしにこれに当てはまるね。
ついでにこの件で彼は「死体が残される以外には、おかしな証拠は何も出てこない!」みたいな条件もクリアできそう。これも重要な条件の一つ。簡単に尻尾をつかませるようじゃぁ、オリガルヒとは言えない。

これからは本気を入れてアレクペロフ情報を追いかけよっと。彼はその価値がある。
だけど、先のプラウダが書いているように、「ルクオイルはロシアで最も閉ざされた会社で、アレクペロフはロシアで最も謎が多いオリガルヒ」なんだよねー。彼の事を知るのは難しそうだ。

最後に、もうちょっと。タイムズによると、彼には、The General, Alek the first, The Donというあだ名がついているそう。なんとなく感じがつかめるかな。将軍でドンなわけか。アレク・ザ・ファーストは、19世紀初期のロシアの皇帝のアレクサンドル一世にかけたものだろうね。ナポレオンを撃退した彼。ウィキペディアにいい文章があったので引用すると、「神聖同盟を結成してヨーロッパ諸国のあらゆる自由主義運動や社会運動の弾圧に協力した」。あー、なんか鮮やかなイメージを描けそう。
ちなみに、ポール・クレブニコフは、「彼はいつも通訳として絶世の美女を侍らせていた」という目撃情報を、"Godfather of the Kremlin"の194ページに記してる。
将軍で、ドンで、自由主義運動を弾圧し、美女を回りに置く…。奇妙奇天烈だわ。

あともう一点。
彼はプーチンよりも背が高い。というのも、二人のツーショットの写真がインターネット上にいっぱいあって、アレクペロフのほうが背が高いことが明らかだから。

Wednesday, November 17, 2004

終盤に差しかかった"The Oligarchs"

今日は中間試験があって、行きの電車の中では試験勉強をした。
けれど、途中から嫌になって(だってあんまりにも難しくて分からない授業だったから諦めたの)、別の授業の課題をやったりした。
この課題は旅行記みたいなもんなんだけど、再来週の火曜日までで、期限が迫っているわけではないんだから、そんなことしないで、"The Oligarchs"を読んどけば良かったかな、なんて今になって思う。
けれど、文章をつれつれと書きながら久しぶりに穏やかな時間を感じることができて、とても良かった。そういえば今学期はずっと英語の本を読んでて、電車の中では頭を使いまくってたんだっけ。

電車の中でたらたら文章を書くのって本当に楽しい。「時間が無駄にー」なんてふと感じても、すぐに「もともと移動の時間は無駄なのさ」と諦めることができる。あるいは、移動すること自体に意味があるんだよね、きっと。この時間は無駄じゃない…。そう、この時間は無駄じゃない…、って。それに時間が来たら目的地に到着するんだし。

電車以外の場所では、こんなふうにぼやぼやしてなんかいられない。家にいるとインターネットに繋いでしまう。あるいは、逆に時間がありすぎて心底退屈してしまう。

学校が湘南台の近くにあるってことは前にちらっと書いたけど、私は新宿から小田急線で50分間乗り続けるんだ。いつも同じ電車、同じ車両、そしてほとんど同じ席に座る。毎日毎日ね。といっても、今学期は週に3回だけど。

この路線、新百合ヶ丘を過ぎたあたりから、朝遅い時間はかなりすくの。がらがらってわけじゃなくて、立ってる人もいるけど、座ってる人が皆詰めれば座れるなぐらいの感じ。この程度の混雑だと本当にゆったりできる。車内が混んでないから、見渡せば両側の窓から景色が飛ぶように過ぎていくのが見える。どんどん変わっていく風景にはどこか心を落ち着かせてくれるものがあるね。新宿に向かう電車だとこうはいかない。
そんな中でぼけっとする時間が本当に好きなんだ。

帰りの電車では、"The Oligarchs"を読んだ。なんだかふぬけちゃったので、本の最後のにあるnotesとacknowledgmentsのページを片付けたり、indexを眺めたりした。この本は575ページなんだけど、昨日までに読んだのが441ページ。442ページから489ページまでが、最後の章のHardball and Silver Bullets。その後、Epilogueが3ページ分あって、Afterword to the Paperback Editionが8ページ分。そこで502ページ。
その後は、notesとacknowledgmentsとbiblographyとindexが、70ページ分続くの。

そう、もう最後の最後まで来てるんだ。残っているのはたった一章。Hardball and Silver Bulletsのみ。この章は、オリガルヒ時代の終焉というか、エリツィンが終わり、プーチンが出てくるってところを扱っている。

今日は459ページまでを読んだ。ここに書いてあったのは、ルーブル危機の後、いかにホドルコフスキーが外国の投資家から借りたお金を踏み倒し、ユコスの少数株主を追っ払ったかということ。本当に彼は荒っぽい。
日本の大和証券がホドルフスキーのメナテップにお金を貸してたのだけど、貸したお金の半分しか戻らなかったなどのことが書いてあった。ルシコフが大統領選に出馬する意向を表明したところで、459ページ。

どうしよう。実は来週は学校がなくて、次に学校に行くのは11月29日。でも、この本、"The Oligarchs"は、あとたったの43ページなんだよね。家で読もうかな。あと2時間あれば読めるから。
どうしようか、ちょっと決められない。11月30日に別の授業でテストがあるから、教科書の"行政学入門"を読んで授業に追いついとかないといけないし、12月6日が締め切りの書評課題の"アメリカナイゼーション"も読みたい。
けれど、10日以上、"The Oligarchs"を放置しとくのもよくないよね。う~む。読むことになるかも。

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ところで、acknowledgmentsを読んで驚いたんだけど、このブログで何度も名前が出てくる"Sale of the Century"の著者、クリスチャ・フリーランドとデイビッド・ホフマンは親交があったんだって。
最後の謝意のページに「フィナンシャル・タイムズのモスクワ支局長のクリスチャ・フリーランドは、特ダネでは何度も僕を出し抜いてくれたけど、いつもいい人だった。友人として、同業者として、また、この騒がしい時代の旅仲間として。二人で、寂れた工場や閑散とした炭鉱、ロシアの企業の怪しげな会議室に行った」と書いてあった。
フィナンシャル・タイムズの支局長と、ワシントン・ポストの支局長が一緒に連れ立って取材に行くとは思ってもみなかったわ。そういうこともあるんだね。

他に気付いたのは、"Stealing the State"のスティーブン・ソルニックがコムソモルの崩壊に関して貴重な資料をくれたことに対する謝辞があり、チェチェンのレポートを書いたアン・ニバットの名前も出てた。いろいろと交流関係があるのね。

ルーブル危機!

昨日は第15章、Roar of the Dragonsを丸々、397ページから441ページまで通して読んだ。
この章は、45ページとなかなかに長いのだけど、「昨日50ページ以上読めたのだから、この章は一日で行ける!」なんて思ったのが運の尽き。負担としては昨日よりも大きかった。
というのも、この章は1998年のロシアの通貨危機の話だったの。Dragonsというのは、2匹のドラゴンのことなんだけど、1匹は国債返済に関して、もう一つはルーブルの対ドル固定相場の問題。
そう、この章は、経済に関する内容なのだ…。

経済となるととたんに頭が痛くなる私。本当に何言っているか分かんない。日本語で説明されたって分からないだろうことを英語で説明されてる。そもそもルーブル通貨危機って何よ?

困った。どうしよう。困った。

でも、ここで躓くわけには行かないということで、できるだけ理解しようと務めながら、45ページを読み進めた。
注目は、405ページでアブラモビッチの名前がようやく初めて出てきたこと。けれど、彼の名前は一度出たきりで、その後、再び見ることはなかった(少なくとも441ページまでのところは)。

またまた面白いと思ったのは、1998年にはユコスとシブネフチの合併が発表され、数ヵ月後に破談になったのだけど、破談の理由についてデイビッド・ホフマンは触れていない。けれど、ポール・クレブニコフの"Godfather of the Kremlin"には、アブラモビッチが反対したから破談になったと書いてあったのよね。
この"Godfather of the Kremlin"は、このブログの中で何度も名前が出てくるけど、私はまだこの本を読んでない。というか、手に入れてない。なのに、なぜ本の内容が出てくるかというと、Amazon.comの本の内部の検索を使って、アブラモビッチに関するところは全部読んどいたから。その結果分かったのは、"Godfather of the Kremlin"にはアブラモビッチに関することはあまり出てこないということで、読む気がくじけてしまったのである…。
でもデイビッド・ホフマンも最後の参考文献のところで、"Godfather of the Kremlin"の名前を挙げてるし、結構大事な本の一つではある。

このRoar of the Dragonsを読んで分かったのは、このときチュバイスの対応は後手後手になってしまっていたこと。
結果的にルーブルの切り下げを行うんだけど、もっと早くやればよかったんだろうし、国債の発行の仕方も乱雑。
この国債に関する話を読んでいたら背筋が凍りそうな思いがした。1998年の初夏から、ロシア政府はもう国債が返せなくなって、国債を返済するために新たな国債を発行していたとのこと。特にロシアの場合は、利子が100%とかって巨額だったりしたので、国債が雪達磨式に膨らんでしまったのだ。
(この理解でいいんだよね? 本を読み間違えてはいないよね? この章、もう一度読み直したほうがいいかも。ルーブル通貨危機に関して日本語の文献で知識を養ってから、もう一度。)

これって、日本の状況じゃん。日本の国債って、今年6月末の時点で729兆円。一方で、日本政府の一年間の税収は41兆円。日本政府が支出を0に抑えても、このままだと、17年かかっても返せない。
そして、「経済が上向きになれば」なんて素敵なことを思っていても、日本の経済って既に発展しきっちゃったのだから、例え順風満帆に成長しても、その規模が2倍や3倍になるわけはなく、税収だって、そんなに劇的に増えるはずがない。
結局どうなるんだろう。

ロシアに置いてチュバイスは最終的にルーブル切り下げを行った。この少し前辺りから、ルーブルへの信頼はなくなっていて、ドル建ての借金というのが増えていた。そんな中、ドルに対してルーブルの切り下げを行うってことはドル建ての借金の重みを増やすってことなんだよね。1ドル=7ルーブルだったところが、1ドル=20ルーブルってところにまでなった。

今1ドル=106円ぐらいなのが、302円とかになっちゃったらどうしよう。どうしようとか言ってもどうしようもないし、庶民の私、日本から脱出なんて出来ないのだけど。ロシアから脱出できなかった庶民の人々、本当に酷い。Roar of the Dragonsの最後のほうで、せっかく貯めたお金が消えてしまった人の話があり、本当にかわいそうに思った。

ホドルコフスキーとか、スモレンスキーとか、銀行を経営してて、そこにお金を預けた人にはお金返さなかったくせに、自分たちは逃げちゃって最低だわ。

この章で顕著なのは、チュバイスの決定力のなさ。物事が上手く行っているときは、頑固なことも魅力的だけど、こんなふうになっちゃうとチュバイスなんてただの木偶の坊じゃんなんて思ってしまった。昨日、「私のアナトリーちゃん」なんて書いたのが夢のよう。あっさり見切った。

そうだよ。そうだよ。この頑固さで、ロシア経済を右に左にと振り回し、滅茶苦茶にしたんだ、彼は。誤解しちゃあいけないわ。

そんなわけで、スモレンスキーはさようなら~という話。
彼はなによりも銀行家だったわけで、銀行はルーブル危機で最大のダメージを負った。ホドルコフスキーもメナテップという非常に大きな銀行を持っていたけど、同時に彼はユコスを持っていたので、銀行がぶっ潰れても、ユコスで稼げた。実際、現在だってロシア一番の金持ちはホドルコフスキーだもんね。
同様にベレゾフスキーはシブネフチが、ポターニンはニッケルが、フリードマンも石油があったわけ。
結局オリガルヒたちは、逃げ切れちゃったという見方のほうが正確だろうね。

けれど、このルーブル通貨危機以後、オリガルヒたちはもう二度と元のようには戻れなかったとデイビッド・ホフマンは書いている。スパロウ・ヒルの会談や、ダボスの7人組のようには。
だけど、思い起こせばそれだけロシアが体外的に開かれたという意味でもあるよね。スパロウ・ヒルや、ダボスは、いかにロシアが閉じられた世界で、狭い世界の中でオリガルヒが暗闘していたかということだった。一方でルーブル通貨危機というのは、外国からの影響を受けて起きたもの。背景にはアジアの通貨危機もあるわけだ。
ロシアが段々開かれた国になった。だから、オリガルヒたちが少数で集まって、勝手に何かを決めてしまうなんてことはできなくなったように思う。それが1998年あたりに起きたこと。

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ところで、今のロシアで金持ちランキングはどんなものかなーと見ていたらフォーブスのサイトにすごいページが!
100 Richest Russiansというページなんだけど、今年の7月の記事で、ロシアの金持ち100人の名前が出てる。
編集したのは、そう、あのポール・クレブニコフ。今年の7月に何者かによってモスクワで銃撃され死亡した。

そしてその理由は、まさにこの記事だ。この記事は、もともとフォーブス・ロシアが出したものだけど、ロシアにおいて、このように誰がお金を持っているかを明らかにするのは基本的にはタブーなこと。治安が確保されてないロシアでは、お金を持っていることがバレると、たかりにあってしまうから。

クレブニコフは、この記事でそのタブーを破ってしまったわけで、それに対してぶちきれた人が、彼の命を奪った。だから、ここのリストに出てる人の中にその犯人がいるのだ。

東京にいて犯人探しは出来ないけど、ホドルコフスキー、アブラモビッチ、その他の既に有名なオリガルヒは関係ないだろうね。彼らの名前はもともと世界中に知られ渡っていたわけで、こういう記事が出たところで状況に変化はない。困るのは、このリストで始めて名前が出た人。でも、そんなこと言われても分からないけど。

リストを見てみると、ホドルコフスキー1番はいいとして、ポターニン5番、フリードマン6番、アレクペロフ10番、ボグダノフ13番、アーベン16番など、古くからのオリガルヒがかなり残っているね。
ルーブル通貨危機を乗り越えてしまうのね。普通の人の犠牲の上に…。


ついでに、フォーブスのほかの記事を見ていて注目したのはアレクペロフ。
彼は、ルクオイルのオーナーで、私はあんまり気にしてなかったのだけど、もしかしたら、非常に面白い人かもしれない。
フォーブスの金持ちランキング(全世界の方)だと、1997年で176位。2001年が387位。2002年が327位。2003年が329位。2004年が186位。
ずっと上位にいる。通貨危機の前にフォーブスに出て、その後も上位に戻ってきたのは、彼と、ホドルコフスキーとポターニンぐらい。アレクペロフは、ソビエト末期にも政権内にいて、今プーチンとも非常に良好な関係にある。
大人しくしてるから目立たないけど、彼の処世術っていうのは半端なものじゃないと思う。Loans for Shareのところで、こっそりルクオイルをかっぱらったことを含めて。
アブラモビッチだけじゃなく、アレクペロフのことも、今後調べていきたい。

Monday, November 15, 2004

チュバイスとオリガルヒの衰退へ

今日は、Saving Boris Yeltsinの344ページから、その次の章のThe Bankers' Warの終わり、396ページまでを読破。
かなり飛ばした。飛ばすと言っても読み飛ばしたのではなく、ギアを入れ替えて集中し、本気で読んだという意味だけど(なんとも古風な表現!)。

それもそのはず、このSaving Boris Yeltsinの終わりからThe Bankers' Warって面白いなんてもんじゃないの! もしこれがフィクションなら真骨頂というか、最高に盛り上がる場面だと思う。
ただし、これは事実なので、面白いと表現するより、台無しというか、大悲劇と言ったほうが良さそう。

今回の章が扱っているのは、1996年のエリツィンの再選から、1997年のオリガルヒ同士の争いまで。
まさにこの時期にオリガルヒが最高の輝きを見せ、そして瞬く間に分裂していったのだ。なんともなー。

それにしても、アナトリー・チュバイス! すごいわ。なんか、惚れてしまった。カッコよすぎる。彼は本当に頑固で、自分の主張することを絶対に貫くの…。いいなー。私なんか、ちょこっと対立しかけると、すぐ自分の意見を引っ込めちゃうから、このチュバイスの頑固さには心底憧れる。
そして、単に自分の主張を貫くだけでなく、間違いがあった場合は、後からそれを修復しにかかるところも良い。偉いなー、偉いなー、と、ただひたすら唱えてしまいそう。
そしてなによりも、チュバイスの一番の特徴は、鋼鉄のような度胸の持ち主だということ。たとえどんな悲劇的な状況にあっても、どんなに緊迫した状況にあっても、彼は前進するために冷静に考えることを止めない。その一方で、状況が収拾可能なときには、感情に身を任せて叫ぶこともいとわない。
素晴らしい。全てが素晴らしい。けれど、彼のこういった特質の全てがロシアを滅茶苦茶にしたんだ。

彼は頭がいいタイプじゃないね。度胸があって、時と場所を心得ていて、熱意にもあふれている。そして自分が目指した目標に向かって、突き進む。これはもはや猪突猛進どころの騒ぎじゃなくて、なんというか、もう形容する言葉が見つからない。驀進…。爆走…。
けれど悲しいかな。チュバイスは大きな視点から物事を見ることができないんだ。民営化といっても、富豪と貧民を産んだだけ。民営化が急すぎて、ロシアの経済そのものがぐちゃぐちゃになった。そして、まだ396ページまでには出てこないけど、1998年には通貨切り下げによって、金融危機を生じさせたんだよね。

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とりあえず、読んだところの内容。

前回に引き続き、Saving Boris Yeltsinは1996年の選挙の話。
いかにグシンスキーのNTVとベレゾフスキーのORTがエリツィンを助けたかという話。テレビを持っているというのは大きいね。世論を左右できる。特にこの場合は、公共放送のもう一つの要RTRが国営なわけで、エリツィンのもとにオリガルヒが集まると、主要なテレビ局NTV、ORT、RTRの全てがエリツィン側になってしまう。
なんてすごいんだろう。日本でいったらNHKと日本テレビ、フジテレビ、テレビ朝日、TBSが全部同じ候補を応援しているようなものか。

エリツィンの対抗勢力となりうるのは共産党のシュガノフだったわけだけど、そのシュガノフをネガティブ・キャンペーンで叩きまくったわけ。そりゃエリツィン有利になるよねー。ってことで、エリツィンが再選…。
このとき注目は選挙資金はオリガルヒたちが出したのではなくて、ロシアの国有の資産をオリガルヒが強奪することによって、資金を捻出していたということ。

351ページから6ページにわたって、1996年の6月20日から21日にかけて起きた出来事が記述されている。これは非常に興味深く、チュバイスの魅力が最大限に発揮されている。
エリツィンを支援していたグループがお金を運び出そうとしているところで、エリツィンのボディガードだったコルシャコフが絡んで、リソフスキーを軟禁というかそういう状態にしてしまう。一種のスキャンダルだった。
それまでエリツィンの側には、オリガルヒを有するチュバイス派と、武力で行きたいコルシャコフが対立していたのだけど、この日、それが明らかな形で表出したの。
ベレゾフスキーのロゴバスのクラブに集まった面々は、ベレゾフスキー、グシンスキー、チュバイス、ズベレフ、ユマシェフ、ディアチェンコ、ネムツォフ、キセリョフ。なかなかに豪華な組み合わせ。彼らは「明日の朝、コルシャコフがエリツィンの元に行き、チュバイス派が金を取ってる!と密告し、我々は解雇される…」と恐れていたのであった。
結局は、コルシャコフの方が解雇されるという結果に。

その後、The Bankers' Warは、エリツィンが再選された後、「これまでのようにオリガルヒを優遇しないぞ! 民主的にやるぞ」と誓ったチュバイスが、急に政策を変更し、国営企業の民営化(というか、オークション)で、談合するのではなく、一番高い金を出したところに売ると決め、実際、通信会社のシブヤシンベストをそのようにしてポターニンに売った。
それに対して、「今までと話が違うじゃないか!」とベレゾフスキーとグシンスキーがぶちきれて、NTV、ORTと含む多数のメディアを動員した戦いになった。
今まで、オリガルヒというのは、エリツィンを軸に一応のまとまりを見せていたんだけど、ここで脆くも空中分裂してしまったのだ。諸行無常の鐘の音だわ。

ここで注目なのは、リソフスキーの言葉。チュバイスに対して徹底抗戦をしようとするベレゾフスキーとグシンスキーに、とても素晴らしい言葉を投げかけてる。393ページに、
「チュバイスをやっつけるってのは、何年かしたら自分の身が危険に晒されるってことだ。なぜなら、長い目で見たら、チュバイスは君らを潰そうとしたり、逮捕しようとはしないんだから。そんなことは絶対にない。彼は君らをロシアの資本主義者としたんだから。けれど、彼の役職にやってくる他の奴らは誰だって、君らに対してひどい扱いをするはずだよ」という発言が引用されている。
この発言は本当に意味深い。とりわけ、その後プーチンがやってきて、ベレゾフスキーとグシンスキーはロシアにいられなくなって、国外に逃げ出さざるを得なかったことを考えると。

ベレゾフスキーとグシンスキーは本当に凶暴で、容赦がない。この章を読んでいたとき、私はチュバイスのことが気にいってしまっていたので、彼らがチュバイスに対して無情な攻撃をしているのを読んで、「私のアナトリーちゃんを虐めないで!」と心から思ってしまった。本当に無情な人々。でも、こういう攻撃は、実はシュガノフに対しても使われたんだよね。選挙でエリツィンを勝たせるために、シュガノフをぶっ潰した。オリガルヒっていうのはもはや目も当てられないほど、自分の欲望に正直に生きていくんだね。良かった、私はオリガルヒじゃなくて。

とにかく、彼らのおかげで、チュバイスは痛手を被った。財務大臣の職も解かれてしまった。チュバイスのやろうとしていたことはもはや実現できなくなってしまったのだ。
もし、チュバイスが権力を維持していた場合を考えると、もしかしたらプーチンはやって来なかったかもしれない。ベレゾフスキーとグシンスキーには逮捕状が降りなかったかもしれない。そう思うと、リソフスキーの発言通りになってしまったのかなという気もする。

だけど、オリガルヒがオリガルヒでありえたのは、やっぱりこの気性の激しさというか、相手を徹底的に倒そうとする闘争心が中心的な要素として挙げられると思う。
オリガルヒから闘争心を奪ったら、後には何も残らないかもしれない。ということは、このチュバイスとの抗争や、結果的に生じたオリガルヒ同盟の分裂、しいては彼ら自身の崩壊というのは、起こるべくして起きたことなんだ。

Friday, November 12, 2004

ロシアにおけるミドル・ネーム

私は本は学校の行き帰りにしか読まなくて、学校は月・火・水の3日間しかないので、次に"The Oligarchs"を読むのは月曜日ということに。なんとも怠惰なこと!

それはいいとして、インターネットを見ていたら、pronunciationguide.orgというとても面白いサイトがあり非常に参考になった。

4日前にアンナ・ステパノフナを例にミドル・ネームの話をしたけど、このサイトによると、一般的なロシア人のミドル・ネームというのは、父親の名前から取るものらしい。
父親の名前に、男だったらovichかevichを、女だったらovnaかevnaをつけたのがミドル・ネームになるんだそう。

アンナ・ポリトコフスカヤの場合だと、Annna Stepanovna Politkovskayaだけど、彼女の父親がステパン(Stepan)という名前だったってことだよね。
ボリス・アブラモビッチ・ベレゾフスキー、Boris Abramovich Berezovskyなら、彼の父親がアブラーム(Abram)という名前だったってこと。
だから、ボリス・アブラモビッチというのは、「アブラームの息子ボリスよ」みたいな呼びかけになるってことだ。これじゃぁ、まるで指輪物語だけど。

ただ、これは別に珍しいことじゃ全然ないよね。
例えば、~sonっていうのもそうでしょ。ジョンソンだったら、ジョンの息子って意味だし。あるいは、コリンズだったら、コリンの息子。マクラクランだったら、ラクランの息子。オニールなら、ニールの息子。フィッツジェラルドっていうのも、ジェラルドの息子ってことだし。

ただそれがロシアの場合ミドルネームに出てくるとは知らなかった。
ルシコフのミドル・ネームがミハイロビッチだということは前回にも書いたけど、その後読み進めた中に追加で出てきた分があったので、書いておく。

エリツィンが、Boris Nikolayevich Yeltsin。つまり、ニコライの息子。
チュバイスが、Anatoly Borisovich Chubais。つまり、ボリスの息子。
この辺りは、ロシゲイターの人物辞典のほうが詳しいね。

このシステムは、結構大きな意味を持ってくると思う。
例えば、ボリス・ベレゾフスキーの父親はアブラームで、だからアブラモビッチというミドル・ネームがボリス・ベレゾフスキーに与えられたわけだけど、アブラームというのがユダヤ系の名前だってことは、これ以上ないぐらい明らかなんだよね。
つまり、ボリス・ベレゾフスキーの祖父が、息子にアブラームという名前をつけたから、ボリス・ベレゾフスキーが、ボリス・アブラモビッチと呼ばれてる。

ソビエトにおいては、ユダヤ系というのは非常に差別されていて、背景知識の一つとして押さえておかなければいけないのは、ユダヤ系というのが出世ができないような社会になっていたということ。
そういう中で、このように父親の名前がミドル・ネームに使われるというやり方だと、もし誰かがユダヤ系だとしたら、そのことをとても意識せざるを得ない状況になると思う。

今回は深く触れないけど、ユダヤ系というのは、オリガルヒにまつわる結構大きなテーマの一つ。
ベレゾフスキー、ホドルコフスキー、アブラモビッチ、スモレンスキー、グシンスキー、フリードマン、アーベンなどがユダヤ系。チュバイスもユダヤ人ではないのだけど、ユダヤ系に入るとのこと。
(フリードマンとアーベンのアルファ銀行コンビなんて、二人ともユダヤ系だったんかい。)

これがどういうことを表しているのか上手く説明できないのだけど、重要な要素の一つではあるよね。
個人的には、ソビエト社会がユダヤ系を排除しようとした社会だったから、ユダヤ系はどこか別の方法を使って活躍せざるを得なくて、それがオリガルヒのような動きに結びついたんじゃないかと思っている。

Thursday, November 11, 2004

手を取り合い協力するオリガルヒたち

何にもしてないのに一日が終わっていくというのは、今日みたいな日のことをいうのかな。今日はまだ何もしてないのに、もう3時だ。ゴロゴロしてるだけなんだけど。

ブログを書きまくってそのせいで時間がなくなっているような気もするし、あまり意味のあることを書けてないような気もするのだけど、これは大事なので書いておきたい。

この2日間で読んだ"The Oligarchs"の内容。メモみたいな感じ。ここでちょこちょこっとまとめるのは後で意味が出てくると思う。本を読み始めたときに、やりはじめれば良かったな。
今回は、264ページから344ページまでの内容。

ルシコフの章があと5ページだということは3日前に書いたけど、その5ページで大変なことに。大どんでん返し!
システマという会社について、ルシコフがどれだけ便宜を図っていたかということが書かれていた。それまでのところ、The Man Who Rebuilt Moscowという章は、ルシコフをすごく評価する内容だったのだけど、最後でデイビッド・ホフマンが決めてくれたような感じ。わーい。

その後、章が変わって、11章目のThe Club on Sparrow Hillsに突入。スパロウ・ヒルズというのは、モスクワの川沿いにある場所の名前で、ここで1994年の9月からホドルコフスキー、スモレンスキー、ベレゾフスキー、ビノグラドフ、ポターニン、フリードマン、ボイコ、イェファノフなどが、何度も集まって会合を開いたことが書いてある。今ではビックリするような大物ばかり。

その後、グシンスキーがNTVというテレビ局を持つようになり、ベレゾフスキーはORTというテレビ局を持ち、グシンスキーはエリツィンと対決するというくだりに。

12章のThe Embrace of Wealth and Powerの中では、かの有名なLoans for Shareの話。これこそが、ユコスやシブネフチの原形を作ったものだね。
同時にアレクペロフがルクオイルを、ボグダノフがスルグトネフチェガスを手に入れた。これまで私は、アレクペロフとボグダノフの二人は、オリガルヒという感じがないので、そんなに悪人じゃないんじゃないかなーなんて思ってたのだけど、それは大間違い。
特にスルグトのほうなんかすごくて、会社はオークションで売られることになっていたのだけど、オークションの当日、会場があるスルグトの空港は閉鎖され、オークションに行きたくてもいけない状況を作ってしまい、そんな密室的な状況の元でスルグトネフチェガスは民営化された…。あぁ、なんて悪い奴なんだ、ボグダノフ。

13章目がSaving Boris Yeltsinで、これは325ページから、364ページまで続く。私が今いるのは344ページだから、丁度真ん中あたり。
この章が扱っているのは、1996年の大統領選で、オルガルヒがいかにエリツィンを助けたかということ。
当時、ロシアの資本主義化は全然上手く行ってなくて、共産党の勢いが増してきていた。共産党委員長のジュガーノフが大統領になってしまうと、資本主義化はキャンセルというか、民営化は強制終了になりそうだった。
それに慌てたオリガルヒ達が、一致団結してエリツィンを応援したというもの。

事態が変わり始めたことに最初に気付いたのは1996年のスイスのダオス会議でのこと。その直後、7人組というのが結成された。メンバーは、ベレゾフスキー、グシンスキー、ホドルコフスキー、ポターニン、ビノグラドフ、スモレンスキー、フリードマン=アーベン。フリードマンとアーベンは二人で一つと考えられていた。二人ともアルファ銀行の関係者だから。
彼らがいかにエリツィンの人気を高めようとしたかというところで、344ページ。この先は読んでない。
この辺りからタチアナ・ディアチェンコが積極的に登場する。ターニャ、ターニャ!
まだアブラモビッチの名前が一度も出てこない。どういうことだろう。

次の次の本は?

昨日一昨日の2日間で、"The Oligarchs"は344ページまで読み進めることができた。

話の内容はさておき、この分野に関しては当事者が本を出しまくっていることを知った。衝撃的なほどに。

例えば、ボリス・エリツィンは"Midnight Diaries"という本を出している。彼が書いたのではなくて、ゴーストライターが書いたのだろうけど、その中には1996年の大統領選挙の時のことが書いてある。当時、共産党の方が明らかに勢力が上で、エリツィンが選挙で負けるのが明白だった。そんなら選挙を延期してしまえ!ということで、大統領命令を用意していたことが書いてある。

あるいは、初期のエリツィン政権内で主要な役割を担っていたガイダルは"Days of Defeat and Victory"という本や、その他にもいくつも出している。
同様にエリツィン政権にいたバシリエフは"Ten Years of Russian Economic Reform"という本を書いている。こちらにガイダルがはしがきを書いていたりする。
ルシコフも本を出してる。"The Renewal of History"など。
1995年ごろにチュバイスと親しい中にあったコフ(と読むのかどうか分からない…。Kokhという綴りだけど)も"The Selling of the Soviet Empire"という本を。

これらは全部英語で読めるものだけど、ロシア語の本まで含めたら、チュバイス、ホドルコフスキー、コルシャコフも本を出している。

つまりそれだけいろいろアピールをしなくちゃいけないと思ってたんだろうね。世論の奪い合いというか。
こういうふうなことになっているとは全然気付かなかった。

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"The Oligarchs"の著者のデイビッド・ホフマンは本当に研究熱心で、様々な本を読み漁り、すごくたくさんの人にインタビューしまくっている。そうやってこの本をまとめた。
この"The Oligarchs"という本はもともとアンナ・ポリトコフスカヤの"A small corner of Hell"の中で紹介されていて、それをきっかけに読むことにしたのだけど、序文を書いたノースウェスタン大学のゲオルギ・デルルギアンがなぜこの本を注に入れておいて参照するようにしたのかよく分かる。本当に良い本だ。
(注に入れたのは、翻訳を担当したアレクサンダー・バリーか、タチアナ・トゥルチンスキーかもしれないね)

実は、先に読んだ"Violent Entrepreneurs"も、"A small corner of Hell"の中で、"The Oligarchs"と共に紹介されていた本。"Violent Entrepreneurs"はそんなに面白くはなかったけど、確かに良く調べて書かれていた本だった。
同様に紹介されていた本は、もう一つあり、それがクリスチャ・フリーランドの"Sale of the Century"。そう、探しまくったけど、手に入らなくて、来年に増刷されるあの本。この分だと、"Sale of the Century"はすごく期待できそうだね。

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実は数日前からこの本の次の次に何を読もうかと迷っている。
"The Oligarchs"が良い本なのは間違いないのだけど、語り手の視点がオリガルヒの側に寄っているのもこれまた疑いのない事実だ。
彼はもともとワシントン・ポストの記者で、その関係でロシアに渡り、仕事をした。ワシントン・ポストという肩書きがあったから、ロシアの有力者がインタビューに応じてくれたのだと思う。
彼自身がインタビューした相手がものすごい。インタビューしてない人はいないんじゃないかと思うぐらい、関係者全員と会って話をしている。名前を挙げるとすると、ベレゾフスキーをはじめ、ホドルコフスキー、グシンスキー、チュバイス、スモレンスキー、ルシコフ、ガイダル、アーベン、バシリエフ、ソロス、コフなどなど。その他、ズラトキス、マラシェンコ、リソフスキーなど、大物以外にもたくさん話を聞いている。

これってものすごいこと。よくこれだけたくさんの人に話を聞けたなーと驚くばかり。当事者からじかに得られた情報がいっぱいで、そのおかげで、この本に読む価値が出ている。

ただしその一方で、これだけの人に会えたというのは、彼がその権益の中にどっぷりと漬かっているということでもあるんだよね。本の中でベレゾフスキーと何度もインタビューをしたと書いてあった。ベレゾフスキーとは仲が良かったんだ。そうやって関係を築いたからこそ、彼の関係者とも仲良くなっていったのだと思う。(ここでベレゾフスキーから広がっていったと書いたのは言葉のあやだ。本当は逆で、彼の関係者と仲良くなったから、ベレゾフスキーに近づけたのだろう。)
このベレゾフスキーやホドルコフスキーというのは、それぞれ別々に活動してお互いの顔を知らないというわけではなく、場面場面においてはとても深い協力関係にあった。ホドルコフスキーだけでなく、グシンスキー、ルシコフなども皆つながっている。デイビッド・ホフマンはその網の目の中にいたんだと思う。

とするとここで重要になってくるのは、その他の見方はないのか、ということ。
"The Oligarchs"が本当によく調べられて、よく書かれた本であるのは大前提として、ここに書かれなかったことがあるんじゃないかということ。

例えば、シブネフチの民営化の話などはさらっと流されていた。この話は、実は結構暗い部分があって、オムスクの原油精油所がシブネフチの一部にされようとしたとき、そのことを知った精油所所長のイバン・リツケビッチは反対した。彼は結構な有力者だったのだけど、オムスク製油所がシブネフチの一部になる直前に、イルティシ川で溺死体で発見された。
警察は殺人だとはしていなくて、これは事故だということで片がついたのだけど、そんなの誰が信じる? これが事故だと思うぐらい我々はおばかさんでいなくちゃいけないわけ?
殺したのがベレゾフスキーとアブラモビッチの勢力だっていうのは分かりきっているじゃない。
この事件は確かニューズ・ウィークがそういう方向で報道して、ポール・クレブニコフの"Godfather of the Kremlin"の中でも取り上げられている話。"The Oligarchs"の中では無視されている。

デイビッド・ホフマンも間違いなく知ってたはず。その他の面では本当に緻密な人なんだから、だけど書かないんだよね。
もちろん"The Oligarchs"が目指しているのは、信頼性の高い研究本で、このような事件が無視されてるのは当然のことかもしれない。公式には事故ってことになったし、殺人だと証明するすべはないから。

だけど、この分野に興味を持つものとしては、疑惑だとしてもこういうことは知っておきたいのだ。オリガルヒにとって都合の悪い話も知りたい。そういう意味で、"Godfather of the Kremlin"みたいなのが次に進むべきなのかなーと考えている。

ファルージャとグロズヌイに関する2冊の本

昨日は学校の帰りに池袋のジュンク堂に寄り、"ファルージャ2004年4月"を買った。
その後、一度家に帰ってから図書館へ行き、"チェチェン屈せざる人々"を借りてきた。

この"ファルージャ2004年4月"は前々から気になっていた本なのだけど、収録されてる文章の多くがインターネット上で読めるので、買うのはどうしようかと迷っていた。
だけど、この数日、米軍がファルージャを攻撃しているということで、この本を買うことにした。
4月にファルージャで本当に多くの無実の人が殺された。その事実をまとめた本には価値があるはずだから。


"チェチェン屈せざる人々"の方は半分写真集のようなもので、本の前半に47枚の写真が掲載されており、それが本のメインとなっている。ただし、後半には林氏による文章があり、その文章も、なんと言ったらいいか、形容が難しいのだけど、人を動かすような性質のもの。写真は全て白黒。
掲載された写真は、ほとんどが人を写したもの。チェチェンにおいて人々がどのような環境にあるかを提示してくれるようなもの。写された時期は戦争の最中や悲劇の直後ではなく、戦いが終わっていくばくかの時間が過ぎてからのものだった。
これはフォト・ジャーナリズムという類のもので、写真を通して何らかのメッセージを伝えようとする試みの実践なんだ。この本は岩波のフォト・ドキュメンタリー「なぜ世界の戦場から」の一冊で、巻末にはなぜこのシリーズを創刊したかという点に関し広河氏の文章があった。

私はまだフォト・ジャーナリズムという分野に関して、慣れていないんだ。
私にとって写真は何かメッセージがあるものではなく、証拠だった。どんな攻撃が行われ、どんな人が死に、怪我人たちがどんなふうに運ばれたか…。そういった現在進行中の出来事を捉えたものを、それに関する文章と共に読むことに慣れてきた。それが私にとっての写真だった。
ところがこの本が目指しているのはそういう証拠としての写真ではなく、戦争がどのように人々に影響を与えたか、普通の人々がどのような日常を送っているのかということついて、写真のみで語ろうとしている。
つまり文章で語ろうとしているのではなくて、写真で語る。写真にメッセージが込められているの。そういうふうに写真に込められたメッセージを読みとるには、受け止める側が読み取るという能力を持っていなくちゃいけないんだ。
それが私はまだできなくて、そのことは実感として感じた。

これは単にまだ慣れてないということなんだと思う。だから、メインの写真ではなく後半の文章のほうに引き込まれてしまった。
でもそれは仕方ないのこと、だよね。まだ今のところは。

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ところで私は大学のほうでは、ジャーナリズムに関してごにょごにょとしたことをしている。一昨日は授業の参加者の間で一つのサイトを作ろうということになり、そのサイトが誰に向けて書かれるべきなのかということについてちょこっとだけ話が出た。それが面白かった。
「大学の他の学生に向けて」という話もあって、それが至極当然だとも感じたのだけど、私が言ってしまったのは「リベラルな人!」と。

そこで気付いたのは、私が書く文章というのは、いつだってリベラルな人が対象になっていたような気がする。リベラルな人に対して話をしたい。
だけど、このリベラルっていうのは、もはや意味をなさないような単語だね。ネオ・リベラルみたいな立場が出てきて、保守主義とも絡み合って、もう何がなんだか良く分からない。

そこで具体例を使って説明をすると分かりやすいような気がした。
例えば、湘南台の駅前を思い浮かべて欲しいのだけど、駅前のパチンコ屋の前にテロリストがいた。立ってハンバーガーを食べていた。そこに自衛隊がミサイルを打ち込み、彼は死んだ。テロリストがいなくなった。これはいいことなのか? これをどう評価するか?
ここで無視できないのは、「ミサイルが爆発したとき、危害が加えられたのはそのテロリストだけではないのではないか?」ということ。
きっと、偶然周りにいた5人も死んだ。別の14人が怪我をした。1人が足を失い、2人は大火傷をした。血まみれになった母親が息の絶えた娘にしがみついて叫んでいる。

こういうふうな付帯的な損害を、「悲しいが、仕方ないのことだ」と思うなら、それは私にとってリベラルじゃなくて、「それは悲しいことであり、許されがたいことだ」と思うならそれは私にとってのリベラルなんだ。

これって極端な例じゃないよ。ファルージャではザルカウィという存在一人を倒すという名目の元で、大勢の命が奪われた。無実の人が死ぬというのは、そんなにどうでもよいこと?

Monday, November 08, 2004

アブラモビッチ-突然、億万長者?!

ブログを始めたばかりなので、なんだか楽しくどんどん投稿してしまう。

まだここに名前は出してないのだけど、ずっと気になる本が一つあって、書いておきたい。タイトルは"Abramovich: Billionaire from nowhere"。おおー。これは、もうこれ以上ないってぐらいに直球で来たね。
この本、どうなんだろう。


実は私がオリガルヒに興味を持ち始めたのは、アブラモビッチがきっかけであるわけで、数あるオリガルヒの中でも、アブラモビッチは大好きでたまらない。ただし、「彼がこれまで何人の命を奪ってきたのだろう?」と思うと、私の中での愛はもろくも崩れ始めるのだけど。少なくとも一人… 二人?

それはいいとして、この本がもし、アブラモビッチに関する真剣な本だとしたら、数々の謎が解き明かされるはずだよね。
今のところ分かってないのは、彼が軍隊に所属した後、1994年まで何をしていたかということ。
あいにくオリガルヒに関する主要な研究は、ベレゾフスキーやグシンスキー、チュバイスなど旧来の勢力については進んでいるのだけど、このアブラモビッチや、アルミニウム業界のオレグ・デリパスカのような新興勢力に関する情報はとても少ない。

アブラモビッチに関しても、ベレゾフスキーと組むまで、Runicomという会社を作ったことなど、細かい断片的な情報は出てくるのだけど、全てを統一してくれるような網羅的な資料には出会えてない。
この本はその隙間を埋めてくれるのかな?


書いている人の他の本を見てみると、どうやら、これまではイギリス王室に関する暴露本を書いてきたようだ。
故ダイアナ妃や、セーラ妃の本を書いている。なんともいえない。期待してよいのやら。

この本は、今買うとハードカバーなので3000円を超えちゃう。来年の5月にペーパーバックが出版され、それは1000円台で手に入るだろうから、とりあえずは待ちの状態かな。


ところで、何かが明らかになるといっても、あまり期待は出来そうにない。今、アブラモビッチっていうのは、たぶんロシアで最も力を持っているオリガルヒ。ロシア以外にも、ロンドンでも勢力を伸ばしてるだろうね。
それは、彼がチェルシーを買ってからのイギリスの新聞の報道を見ていると感じる。彼の資産はほとんど不法な手段によって築かれたものだけど、それに関する意欲的な追求はなかったもの。
叩けばどんどん埃がでるはずなのに、誰も追求しない。少なくとも大手のメディアは。
ガーディアンは、翌年の5月になって、"He won, Russia lost"というとても良い記事を出してくれたけど。アブラモビッチの過去は、触れてはいけない話題なのかもしれない。

ルシコフ… 見逃せない人物であることが判明

今日は学校へ行きがてら、"The Oligarchs"を264ページまで読んだ。一日でだいたい40ページ。悪くない。
章でいうと、Easy Moneyを読み終え、The Man Who Rebuilt Moscowが残り5ページ。明日にはこの章は読み終わるはず。

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このThe Man Who Rebuilt Moscowは、ルシコフに関する章だった。
モスクワの市長として、彼がどのようにロシアの資本主義の形成に貢献したかということが書いてあった。

私はルシコフのことは、「1999年にエリツィンがさよならしかけたとき、大統領になれそうな勢いの人だった」としてしか記憶していなかったので、それ以前に10年以上に渡って彼がモスクワに影響力を持ち続けていたことを知って目から鱗だった。

どうやら、ルシコフはオリガルヒの全てと付き合いがあったような感じだ。
最も親密な関係にあったのは、グシンスキー。彼とは長い間柄だ。ベレゾフスキーとはあまり親密ではなかったようだけど。

とにかく1990年代、ルシコフはモスクワの最高権力者として、思うがままだった。全ては彼の思いのまま。
オルガルヒとの関係の作り方が非常に上手くて、オリガルヒが資金を提供し、その見返りにルシコフが政治的な保護を与える。そうやって、全ての出来事の中心に居て、全てを見てきたんだ。

あ、だけど、有力なオルガルヒの一人であるチュバイスとは敵対関係にあったみたいだね。というのも、当時チュバイスは、エリツィンの元、ロシア連邦政府で仕事をしていたから。
チュバイスは、ソビエト的な権力の強い影響を排除しようとしていた。それに対し、ルシコフはある程度強固な体制を維持して街の支配を図っていた。二人の理想は完全に正反対だったわけ。

この章で分かったのはこのぐらい。この時期は、チュバイスが本当に強力で、反チュバイス同盟みたいな流れもあったそうだから、この後の章で出てきたりするのかな。

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ちなみに、ロシアでは、ファースト・ネーム、ミドル・ネーム、ラスト・ネームがあるとして、大抵は「ファースト・ネーム+ラスト・ネーム」で呼ぶのだけど、発話の中では「ファースト・ネーム+ミドル・ネーム」の組み合わせを良く使うようだ。
これはアンナ・ポリトコフスカヤの"A small corner of hell"の最終章でも出てきたパターン。後書きのところで、アンナ・ポリトコフスカヤの友人のイリヤがアンナのことを、Anna Stepanovnaと何度も呼んだ。
最初は別の人かと思って、アンナ・ステパノフナって誰だろう?なんて思ったけど、アンナ・ステパノフナ・ポリトコフスカヤのファーストとミドル・ネームを使っていただけだった。

このThe Man Who Rebuilt Moscowの中でも、ルシコフのことがYuri Mikhailovichと呼ばれる場面が何度かあった。これは、ルシコフのフルネームがユリ・ミハイロビッチ・ルシコフだから。
同様に、ベレゾフスキーは、ボリス・アブラモビッチ・ベレゾフスキーで、Boris Abramovichとされることがある。

Saturday, November 06, 2004

はじめの一歩

オリガルヒに関するブログを始めてみる。
今回は、いつまで続くのだろう。これまでいくつものブログを投げ出してきた。

なるべく長く書き続けられることを祈ってる。
長く続けるコツは負担を軽くすること。一つの投稿にあまり力を入れないで、続けてみることに集中してみよう。

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まずは現状を書いてみる。

今は、デイビッド・ホフマンの"The Oligarchs"の218ページで行き詰まったところ。
この本は本当に長い。注を除いても500ページある。

文章も難解で、1時間で20ページぐらいしか読めない。
でも、今月中には読み終わりたいな。



今まで読んでみたのは、バディム・ボルコフの"Violent Entrepreneurs"のみ。
インターネットの文章はたくさん読んできたけど、本はまだまだ。もっともっとたくさん読みたい。

今、一番読みたいと思っているのは、品切れ中のクリスチャ・フリーランドの"Sale of the Century"。来年4月に増刷されるそうだから、即効で手に入れよう。

ポール・クレブニコフの"Godfather of the Kremlin"とスティーブン・ソルニックの"Stealing the State"も機会があれば、目を通しておきたい。


とりあえず、"The Oligarchs"の次に読むのは、アンナ・ポリトコフスカヤの"Putin's Russia"で決まり。
これは一昨日アマゾンから配達された。
アンナ・ポリトコフスカヤは、前作の"A small corner of hell"が興味深く読めた。
この新作のページ数は290ページで、それなりに長い。"The Oligarchs"とこれで、今年は一杯一杯かな。


その合間に、学校のレポート課題になっている津田幸男の"アメリカナイゼーション"も読まなきゃならないし、藤田宇靖の"行政法入門"も早めに読んで授業に追いつかないと。


今週買ってきたサラーム・パックスの"バグダッドからの日記"とリバーベンドの"バグダッド・バーニング"も、ざっとじゃなくて、一度精読する必要があるね。

他に気になっているのは、マーシャル・ゴールドマンの"強奪されたロシア経済"とナオミ・クラインの"ブランドなんか、いらない"。
前者は、今の時点では、オリガルヒに関する唯一の翻訳書って感じがする。この分野に関しては、翻訳が全然なされていない。とても面白いのに。
ナオミ・クラインは、その後に出された"貧困と不正を生む資本主義を潰せ"が非常に面白かった。
この二冊に関して苛立ちを覚えるのは値段の高さ。なんで3000円もすんのよ? 資料として何度も参照したい本は手元に置いておきたいのだけど、3000円となると気が引ける。2冊で6000円…。
特にナオミ・クラインのほうは、原著の"No logo"が1000円台の中程で手に入るのだから、ウンザリしてくる。英語で読んでもいいのだけど、読むのが桁違いに遅くなるから、翻訳がある本は日本語で読みたい。


そういえば図書館から連絡が来て、"チェチェン屈せざる人々"が取り置きされたとのこと。
早めに行って受け取ってこなきゃ。
チェチェンに関しては、ハッサン・バイエフの"誓い"も興味を引かれている。